「しまった……!」
 騒ぎに迷い込んで来た人間を妖魔に人質に取られる。正確には僕らのミスではないが、戦闘場所を選ばなかった事実は失態として認めるしかない。
「動くな」
 妖魔の光の刃が、人質の首に当てられる。パニックに陥った人質はそれまで口をパクパクとさせていたが、刃の感触に気を失ってしまったようだった。
 好都合、だ。
 だがそれは一体、どっちに……?
 下手に手を出せず、睨み合いが続く。しかし幾ら待っても、妖魔は人間と融合する気配はなかった。操ろうとすら。
 もしかしてコイツ、人間を使えないのか?
 だとしたら、人質の気絶はこっちにとっての好都合だ。
「幾ら人質をとったといっても、二対一。それにそんな状態じゃ、人質は重荷にしかならない。お前の負けだ。無駄な足掻きはよせ」
 深呼吸をし、宇宙剣を構える。斜め後ろでネプチューンが息を呑んだのが分かった。
 そう。幾ら二対一とはいえ、ヤツの戦闘力を考えると人質を無傷で救い出すことは難しい。いや、僕たちのどちらかが負傷しても構わないのなら、不可能ではない。だが。
「無駄だと思うなら、試してみたらどうだ?……ほら。どうした?攻撃できまい」
「甘く見るなよ。今更。……地球を救うためだ。最悪の事態くらい覚悟している。ソイツは運が悪かった。ただそれだけだ」
 力を送り、宇宙剣の刃先を光らせる。これが決してはったりではないと、思わせるために。
「ハッタリを」
「いいえ、この人ならやるわ。地球を守ること。それが私たちの使命だもの。それは人間を守ることと同義ではないわ」
「……まさか」
 どうやら彼女の一押しが効いたらしい。
 ヤツは人質を抱えたままで数歩後退した。刃先は人質から離れ、僕に向けられている。
 彼女なら。僕が攻撃の構えをとり、ヤツがそれに気を取られている隙に人質を救出してくれるだろう。素早さが必要になる作戦だから、人質を救出する役は本来なら僕がするべきなのだが、今更変更は出来ない。負傷のリスクは、今回は彼女が背負うことになる。
 ……いや。
「だが、そうだな。僕たちだって出来ることなら人間を巻き込みたくはない。……お前が、人質を解放してこの場から立ち去るというのなら。今回は見逃してやろう」
「ウラヌス?何を言って……」
「但し。次に会った時は、人質がいようがいまいが容赦はしない。……どうする?」
 構えを解き、両手を広げる。深呼吸をして高揚した気分を静める。だがそうしたのは僕だけで、彼女の方からは依然として緊張した空気が伝わってくる。ヤツからも。
「剣を置け。そっちのお前も。その妙なものを置け。……それと。お前達は両手を挙げて技を繰り出していたな。手を、地に着けろ」
「交渉成立、だな。オーケィ」
「ウラヌス!」
 ヤツの言葉に従い、地面にしゃがんで両手をつけた僕に、彼女が抗議の声を上げる。だけど僕は何も言わず。彼女に一瞥をくれることすらしなかった。
 暫くして、彼女の溜息が聞こえてくる。どうやら、僕の意図は分からないにしろ、僕を信じる決心をしてくれたようだ。
「五秒だ。目を瞑っていてやる。その間に、失せろ。いいな?」
 僕の言葉に、ヤツが神妙に頷く。
 僕も頷き返すと、ゆっくりと目を瞑った。深呼吸をして、五秒数える。頭の中ではほんの少し前まで日常だった光景を思い浮かべて。
「いち……に」
 土を触る指先を動かし、そこに体重をかける。
「よん……」
 来る。
 聞こえてきた砂を踏む音に顔を上げると、案の定ヤツは人質を横に放り、僕に対して攻撃の構えを取ろうとしていた。
 息を止め、左足で思い切り地面を蹴る。クラウチングスタート。ヤツの提案した体勢は、最も僕の駆け出しやすいものだった。
「遅いっ」
 低い姿勢のまま前方に放り投げた宇宙剣を拾い懐へと飛び込むと、殆ど体当たりをするようにヤツの体に剣を突き刺した。
「き、さま。謀ったな……」
「お前が裏切らなければ、逃がしていたさ」
 吹き飛び仰向けに倒れたヤツに僕は右手を掲げると、これ以上の痛みを与えないよう、渾身の天界震を放った。
 ……裏切らなければ、か。信用というよりは期待だったな。
 鉄屑と種に別れ消滅したヤツを見ながら、思う。この結末は、予想通りだ。
「地面に手をつけって言われなかったらどうするつもりだったの?」
「そのときは、僕から言い出したさ。……人質は?」
「なんとか。地面に叩きつけられる前に」
 並んだ彼女が、変身を解いて指差す。その方を見ると、無傷の人質が、木にもたれて眠っていた。
「そっか」
 気持ちを静めるよう深呼吸をし、僕も変身を解く。だけどすぐにその場から立ち去る気にはなれず、視線をまた妖魔の残骸へと向けた。
「ねぇ。じゃあもし、貴女を攻撃しようとせずに逃げていたら。……どうしていたのかしら?」
「どうも。そのときは逃がすだけさ」
「そんな……」
「でも、ヤツは逃げないと分かっていた。僕と、同じだからね」
 分かっていた。だからこそ、微かな期待を寄せていたんだ。
「同じ?はるかと、妖魔が?」
「……例えその場凌ぎで逃げられたとしても。結局は何処にも行けないってことさ。奴らは人を襲う以外の生き方を知らない。そうしないと生きられない。……それだけの生だ」
 僕たちに地球を守るという使命があるように。奴らには地球を侵略するという使命がある。そして、その使命からは決して逃れられない。死なない、限りには。
 ……同じじゃないな。奴らは、僕に殺されることで解放される。
 だが僕たちは。現世で死んでも、転生という形で来世でも使命に縛られる。転生を断ち切り、魂の死を迎えない限り、恐らくは未来永劫解放されることはないだろう。
「はるか……」
 不安げに僕の名前を呼ぶと、彼女は滑るようにして指を絡めてきた。安心させるように、親指で彼女の手をそっと撫でる。
「実を言うと、少しだけ期待をしてたんだ。ヤツが逃げることに。……もし、殆ど本能しか持たない妖魔が、逃げることを選択出来るのなら。僕たちも、逃げられるんじゃないかって」
「はるかは、逃げたいの?」
「少しね。……期末テストも近いし」
 これ以上彼女を不安にさせないよう、おどけてみせる。それには彼女も少し微笑ってくれたけど。すぐに真剣な眼差しに戻った。
「みちる?」
「同じじゃないわ、はるか。確かに私たちも妖魔も、形は違えど使命に縛られているのかもしれない。それでも。決して同じではないわ」
 繋がっていない彼女の手が、僕の頬に触れる。吸い込まれるような瞳に見惚れていると、唇に温もりが触れた。
 地にかかとをつけた彼女が、僕の肩に頬を寄せる。
「貴女には私がいる。それにこうして使命の合間の余白で倖せを感じることが出来る。決してそれだけの生ではないわ。私たちはそう生まれてきたのかもしれないけど、その都度選んでいるのよ。この道を。選択の余地のない妖魔たちとは違う。その気になれば、逃亡だってきっと出来るわ。出来ないのは、本心でそう思っていないからよ」
「おいおい。なんだか、過激だな」
「はるかが本気で逃げたいというのなら、私、駆け落ちくらいする覚悟くらいはあってよ」
「駆け落ちって、みちる……」
 方向のズレた発言に困惑する僕に、彼女はクスクスと体を揺らせながら微笑った。目が、さっきのお返しだと僕に告げている。
 演技派だな。彼女の方が、何倍も。
「でも、これだけは言えるわ。私たちは決して使命に生かされているわけじゃないって。生きているその中に、使命があるのよ」
「……そうだな」
 彼女の頬に手を伸ばし、今度は僕から口付ける。
 そうだったら、いいな。本当に。
 微笑む彼女に僕の哀しみは少しだけ和らいだ。気が、した。


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