「酷いことを、言うのね。あの子」
 最早消え去った腕の傷を労わりながら、彼女は言った。
「酷い?甘え言だろ」
 肌を滑る彼女の手をとり、指を絡める。笑いながら言ったつもりなのに、彼女は顔を曇らせて首を左右に振った。
「みちる?」
「誰かを犠牲にして、倖せになれるはずなんてないわ。倖せになれるのは、事実を知らない人達だけ。裏の世界に住む私たちは寧ろ、犠牲にした誰かへの償いのために生きる。その罪を背負って。そうでしょう?」
「そんなこと……」
 そんなこと。そんなこと?その続きにどんな言葉を綴ればいいのか、分からない。
 長い、沈黙。何も言わない僕に、彼女は顔を歪めるとしがみついてきた。何か言ってと背に回された指が言う。
「おだんごは。……表の世界の、住人だ」
 喉が粘つく。彼女が望んでいるのはそんなことではないと分かってるのに、どうしてもあの子を庇う言葉しか浮かばない。
 庇う?違う。庇いたいんじゃない。この言葉は。そんな意味の言葉なんかじゃない。
「そんなの、分かってる。でも。はるかの気持ちも知らないで。一番辛いのは、はるかなのに」
 回された手に力が篭り、爪が立つ。痛みに、顔を歪めたけれど。彼女には知られないようその頭をそっと撫でた。
「僕が一番辛いのは、使命を全う出来ないことだ。今更、手を汚すことなんて……。それに」
 言葉を切った僕に、彼女が怪訝そうに顔を上げる。その頬に触れると、そっと唇を重ねた。
「僕には、君がいてくれる」
「……はるか?」
「君と一緒なら、どんな地獄だって耐えて行ける。誰にどう思われようとも構わないさ。君と、一緒なら」
 そうさ。誰も僕たちを理解してくれなくたっていい。理解して欲しいとも思わない。あの子は僕たちとは違う世界の人間だ。僕たちのことは、僕たちだけで。みちると二人だけで……。
「はるか」
「但し。何度も言うけど、みちると一緒なら、って言うのが条件だ。……僕の言ってる意味、分かるよな?」
「……はるか」
 僕の名を呼ぶことを合図にしたかのように、背中にあった手が遡って首に絡まる。そうして、彼女が近づくと言うよりも寧ろ僕が引き寄せられるようにして、再び唇が重なった。
 ありがとう、と囁く声。礼を、言うべきは僕の方なのに。それと、ごめん、と本当は言わなきゃならないのに。
「みちる」
 彼女がそれ以上の言葉を望まないから。僕は名前を呼ぶだけで。
 ごめん、と何度も心の内で繰り返しながら、しなやかなその体を強く抱きしめた。


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