BLUE MOON
 出窓に腰掛け、ブラインドを開ける。見上げると、そこにはあたたかい光を放つ満月があった。
 不思議だな。そんな伝承なんて信じてないのに。
 信じてしまいたくなるのは、その月に、あの子の姿を重ねているからなのだろうか。
「随分と熱心なのね」
 頬に触れる熱。見上げると、棘のある口調とは裏腹に少し淋しげな顔をしたみちるが、コーヒーを差し出していた。
 ありがとう。微笑んで、受け取る。
「あの子のことを考えていたのは認めるよ。でも、喚起されただけだ。思い出したくて、月を見つめていたわけじゃない」
「満月、なのね」
 頬をつけるようにしてならんだみちるは、僕の言葉を無視するように言った。少し、拗ねたかな。みちるの態度にそう思った僕は、カップの熱で温まった手でみちるの頬に触れると、鼻の先にそっと口付けた。なによ。何に対する不満なのか、みちるが頬を膨らますから。今度はちゃんと唇を合わせる。
「ブルームーンって言うんだ。その月で二度目の満月を」
「そういえば、一日も満月だったわ」
「知ってるか? ブルームーンに願いをかけると、叶うって話」
「……珍しい」
「何が」
「はるかってそういう話、嫌いそうだから」
 クスクスと笑いながら、みちるが言う。だって、願いは自分で叶えるものだっていつも言ってるじゃない。
 確かに僕はいつもそう言っていた。けど、それは単に神だとかそういった類のものを信じていなかっただけに過ぎない。けど今は、あの子になら、願えるような気がするんだ。こんなことは、みちるには言えないけれど。
「みちるは? もし叶うなら、何を願う?」
 しかし、このままにしておいてみちるがその答えに行きつかないとも限らないから、僕は仕切りなおすようにみちるに訊いた。そうね。唇に緩く折り曲げた人差し指を当てながら、呟く。
 長すぎる沈黙。何を思っているのだろうとその顔を覗きこむと、思い出したように、はるかは、と訊かれた。そうだな。今度は僕が、満月に視線を向けて考え込む。けれど、幾ら考えても願いたいことは浮かんでこなかった。
「おかしいな」
 思わず、そう漏らしてしまう。
「何がおかしいの?」
「言い伝えを信じてない時は、願いは溢れるほど在ったはずなのに。いざとなると、何も浮かんでこないんだ。どうしてだろう」
「私はね、はるか」
 呟いたみちるの手が伸びて、僕の手に触れる。満月から視線を移すと、みちるは優しく微笑んだ。
「私も、願うことは何もないの。少し前なら、世界平和とか、ヴァイオリニストになりたいとか、色々会ったと思うわ。でも。今は何も」
「どうして……」
「だって、私が本当に叶えたかったことは、既に叶っているんだもの」
「それは、何?」
「はっきり言わないと、分からないかしら?」
 含みを持たせるように言うと、みちるは僕の返事も待たず絡めていた指先を解いた。細い指が、僕の頬にそっと触れる。それから、少し遅れて唇にも。
「そうか。じゃあ僕も、君と同じ理由で願いが浮かんでこなかったのかな」
「あら。はるかは本当にそれを願っていたの?」
「そうさ。知らなかった?」
「知らなかったわ」
「おい」
「だって、私がここにいるのに。他の誰かを考えているんですもの」
 僕にコーヒーを差し出した時と同じ声色で言うと、みちるは自分のカップを手に、月明かりの届かないソファへと移動してしまった。
 ったく。まだわだかまってたのか。しょうがないな。そう思いながらも、拗ねたみちるが可愛くて微笑っていると、そうだわ、という呟きが聴こえてきた。
「何?」
「お願いごと。ひとつ見つかったわ」
 ソファの背もたれに肘を乗せ、僕を振り返る。見つめる目が少しだけ意地悪く細められたことには気付いていたけれど、僕は構わず笑顔でみちるを見つめ返した。
「言ってみて。君の代わりに僕が願っとくから」
「そう? だったらお願いしようかしら。傍にいるときくらい、はるかが私の存在を忘れませんように、って」
「それは君にだって」
「お願い、してくれるんでしょう?」
「……分かったよ」
 じっと見つめたまま動かないみちるに、僕は溜息混じりに返すと、満月を見上げた。そして、わざとらしく両手を胸の前で組み合わせると、静かに目を閉じた。
「みちるが、そうやっていつまでもやきもちを妬いてくれますように――」


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