永久に・3
 本来の意味での食事と休息を取ると、時刻は15時になろうとしていた。公演自体は19時からだけれど、軽いリハーサルと音のチェックがあるため、16時くらいからみな会場入りすることになっている。
 ここから会場までは目と鼻の先。それでも、私は仕度を始めることにした。何かがあって、もたつくかもしれないから。
「まるで影ね」
 光から一番遠い壁の隅に寄りかかり、腕を組んで私を真っ直ぐに見つめる。その瑠璃色の目はそれでも存在感を放っているけれど、少し前まで目を閉じていた時には彼女自身の気配すら薄らいでいた。
「最初の吸血鬼は、幾重にも積み重ねられた死人の影の中から生まれたらしいぜ」
「それ、本当なの」
「さぁ、どうだろ。何しろ、人が歴史に数字をつけるより昔の話だから」
 音も無く近づき、私に触れようと手を伸ばしてくる。抵抗は赦されない。けれど彼女は唇を重ねることはせず、再び私に色眼鏡を掛けた。黄味を帯びた視界の中で似合うよと微笑み、私の顎のラインを撫でるように指先を離す。
「そういえば、陽の光を直接視ないようにって言ってたけれど、陽の光を浴びても大丈夫なの」
「僕たちみたいに吸血鬼にさせられた奴等は力が弱い。だから、自分で仲間にした相手しか、言うことを聞かせられない。そのかわり、陽の光を浴びたくらいじゃ死なないことになってる。まぁ、力のある者の十字架や聖水では火傷を負うし、心臓に杭や銀の弾丸をうちこまれれば死ぬ。が。後者については、人間だって同じだろ」
 ただ、それでも。陽の光をその目で直接見てしまうと、灰になってしまうらしい。
 そう言って彼女は持っていたもう一つ色眼鏡をかけると、躊躇いも無く分厚い遮光カーテンを開けた。窓の外では雨は上がっていて、芥子色の雲の切れ間から陽の光が覗いていた。
「もう、青空を見ることは叶わないのね。陽の光に青く煌めく海も」
 思わず零れた言葉。別に彼女を責める気は無かったのだけれど、ひとりで気まずくなった私は思い切り目を背けてしまった。
 深とした部屋に、勢いよくカーテンを閉める音が響く。
「みちる」
 いつの間に近づいたのか。耳元で聞こえた声に、肩を震わせる。顎に触れた指先は容赦なく顔をあげさせたけれど、私は怖くて彼女の目を見ることが出来なかった。
 顎を掴んでいた指が、少し前と逆の軌道を辿り色眼鏡を奪う。視線を上げるとすぐそこに、彼女の瞳があった。
「君が臨む青色は、これで充分だろう」
 ゆっくりと視界一杯に広がっていく瑠璃色。この色は、空の色にしては深く、海の色にしては眩しすぎるわ。思いながらも、目を閉じることおろか細めることすらかなわない。
「んっ」
 そうしてようやく唇が触れ、肩を掴む手に握られた色眼鏡のフレームが肌に食い込んで痛んだけれど。それすらも甘美に感じてしまいそうな自分が確かに存在していることに、私は気付き始めていた。


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