CHILL
「寒いんだ」
 玄関のドアを開けるなり、そう言って天王は抱きついてきた。猫のようにすり寄ってくる感触がくすぐったく、やめろと言い掛けて言葉を止めた。触れ合う天王の肌は、あの時以上に熱い。
「お前、熱……」
 開けたままだった口からなんとか言葉を吐き出してみたけれど、オレの胸にもたれたまま崩れる天王に、返答は期待できそうに無かった。


「手間かけさせやがって」
 なんとか天王をベッドまで運び、自分もその端に座って一息つく。大した距離じゃないのに額にじわりと汗が滲んでいることに気づき、オレは苦笑した。
 これが平和ボケってやつなのかもな。
 プリンセスがもう少し地球の文化を学びたいと、この星に留まってから一年。その間、変身するような事件もなく、オレはスリーライツとして忙しくも平穏な毎日を送っている。
 これじゃあバカにされても仕方ねぇな。
 ヤワだと天王に言われる度に反発してたけれど、体が鈍りつつあることを実感した今、同じことを言われても、言い返せる自信はない。
 いや。ヤワだというなら、今ここで熱を出して倒れている奴の方がよっぽどヤワじゃねぇか。
 赤みのさした頬。薄く開いた口から時折漏れてくる、深い吐息。見ていると妙な気持ちが沸き起こりそうで、無理矢理に目をそらす。
「どーすりゃいいんだよ、こっから」
 世間にオレたちのことがバレるおそれがあるので、救急車は当然呼べない。医者だけを呼ぶというのも考えたけれど、世間からは隠せても大気たちにはバレるだろう。だからといって、このままにしておくのも不味い。うちには薬も氷枕もない。
 そういえば。以前オレが風邪をひいたとき、奴は飯を作るだけで薬は買ってこなかった。バカは風邪をひかないはずだからとかなんとか言って。
 備えあればなんとやらだろ。なんてことを今更思っても、もう遅い。
 どうすっか。
 体温計もないから、かわりに左手を自分の額に、右手を天王の額にあててみる。触れた額は思っていた通り熱かったけれど、オレの額も意外にも熱くてよく分からなかった。というより手が冷たくなり過ぎているらしい。
 仕方ないと互いの額を重ねてみる。伝わる体温は思った通り、酷く熱かった。
「ん」
 と、微かな呻きが赤い唇から零れ、オレは思わず丸めていた背中を伸ばしてしまった。だが、天王が起きた様子はない。
 覗きこんだ顔。眉間に寄せられた皺が夜の顔を連想させ、気付くとオレは吸い寄せられるように距離をつめていた。触れる直前で、微かに動いた唇から言葉がこぼれる。その名前に途端に熱が冷めたオレは、馬鹿馬鹿しいと一人ごちると気持ちを切り替えるため深呼吸をした。
 そうだ。別にこいつの体調を心配をしてやる必要なんてどこにもない。心配してるわけじゃない。ただマズいと思うのは、天王には帰るべき場所があるということだ。
 オレの所に来たってことはあの人はツアーか何かに行ってるのだろうけど、他にも二人、こいつの帰りを待っている疑似家族がいるはずだ。天王自身は今更無断外泊で騒ぐような年じゃないだろうが、父親が帰ってこないとなれば、娘は騒ぎ出すだろう。
 家族か。恋人にもなれないのに夫婦だなんてな。
「ばっかじゃねぇの」
 いや、バカなのはオレも同じか。
 わざとらしく溜息を吐き、無駄に滲みそうになる視界を両腕で塞ぐ。そうして天王の寝息を聴いているうちに、気付くとオレも眠りの中に引きずられていた。


「重い。起きろ」
 額を叩かれ、目を開ける。それでもまだ振り下ろされる手を受け止めると、体を起こした。
「起きたのか」
「この部屋寒いな。エアコン入れてないのか?」
「熱があるからだろ。つかその前に何か言うことあんだろ」
 遅れて天王も体を起こすと、ぼんやりとした目で周囲を見回した。汗でべたついたのか、シャツのボタンをすべて外す。視線はハンガーに掛けられたコートに留められていた。
「服を脱がして、何かしたのか?」
「バカヤロ。コート着たままベッドに入れられるかよ。そうじゃなくて、まず礼を言うべきなんじゃねぇの?」
「お前が勝手にやったことだろ」
「じゃあ帰れよ」
「言われなくても」
 だったら何しに来たんだよ。溜息を吐くオレに手で追い払うような仕草をすると、天王はベッドから降りた。
 思った通りシャツは汗で湿っていて下着が透けていたが、天王は構わずボタンをしめなおすと、コートを羽織り、汗で額に張り付いた前髪をかきあげた。その体勢のまま、動きが止まる。
「……おい」
「なんだ?」
「なにか理由付けて今日は泊まってけ。今、風邪薬と食いもん買ってくるから」
 言いながら、そういえばと時計を見ると、あれから二時間くらい寝ていたらしく、それでもまだ急げばドラッグストアに間に合う時間だった。
「だい……」
「じょーぶじゃねぇだろ。いいから寝てろ」
 天王の腕を引き、ベッドへと投げ飛ばす。いつもなら掴んだ瞬間に振り払われるか、下手をしたらこっちの腕を捻られるかなのだが、容易くことを運べたということはやはりそれだけ体調が悪いのだろう。
 いや、だからどうしてオレは奴の体調なんか。そうじゃない。ただ、そんなフラフラな状態で帰して万一事故でも起こされたら、後味が悪いだけだ。それ、だけだ。
「それと、オレが戻るまでに家族とやらに適当に理由付けて連絡しとけよ」
 言い訳がましいと毒づく内心の声に耳を塞ぎ、奪い取ったコートのポケットから取り出した携帯電話を放り投げる。受け取った天王は不満げな顔をしてたが、暫くして諦めたのか携帯電話を開いたので、オレは買い物に出かけることにした。


 ドラッグストアからの帰り際、すれ違ったタクシーに天王が乗っていたことに気づいたのは、灯りの消された部屋のドアを開けてからだった。


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