その花の名は。

 この花の名を、俺は知らない。
 この花だけじゃない、この世界にある総ての花の名を、俺は知らない。

 だが。
 この花を、俺は知っている。
 名も恐らく、何度も耳にしていた。

 それでもこの花の名を知らないのは。
 憶えておく必要がなかったから。
 直ぐ隣に、名を呼んでくれるものが居たから。

 だが、今は――。

 手の中の花。
 名も知らない花。

 俺の名を呼ぶ響きは思い出せるのに、
 花の名を呼ぶ響きは思い出せない。

 だが、それでも構わない、と思った。
 この花の名など。

 あいつの好きだった花。

 それだけで、充分だと…。

(2005/11/17)





白。

「寒い」
 突然、足元から声がした。
「寒いんですけど」
 次に、背後。
 いつの間に移動したのかと。驚いて振り返るよりも先に、抱きつかれ。そのまま、落ちた。

「………」
「何、拗ねてるんですか?」
 蔵馬の、お得意の植物のお蔭で、怪我はなかったものの。それが何となく、助けられたようで。情けない。
 いや、落ちたのはこいつのせいなのだから、そういう考えは可笑しいのかも知れないが。
「何しに来た」
「温まりに」
「バカか、お前は」
 言葉を放つ度に白く舞い上がるそれを見ながら、呟く。消える前に。手を伸ばして捕まえようとしたが。その手を、背後から伸びてきたでかい手に絡め取られてしまった。
「ねぇ、飛影。帰りません?」
 ここに来るまでに冷えたのか。いつもは温かい蔵馬の手は、驚くほど冷たくなっていた。そう言えば。頬に触れるその髪も、いつもより冷たい。
「魔界へか?」
「意地悪だなぁ」
 クスクスと、癇に障る笑い声。俺を抱きしめている腕に、少しだけ、力が入る。
 その所為か。胸の辺りが苦しくなった俺は、蔵馬の腕に爪を立てた。服の上からでも分かるよう、強く。
「じゃあ、行きましょうか」
 確実に、爪は食い込んでいるはずなのに。蔵馬はそれに対して何の反応も示さず。相変わらず、余裕のある声で言った。
 いいようのない、苛立ちも似た苦しさに。その腕を振り払い、歩き出す。
「飛影?」
「……帰る」
「魔界へ?」
 俺の視線の先を知っているくせに。わざと、そうやって確かめるようなことをするから。
「さぁな」
 苦しくなる胸を、ぎゅと掴み。出来るだけ余裕のある声で返した。
「…素直じゃないね。ほんと」
 だが、俺以上に余裕のある声を背後から投げかけると。足早に隣に並んだ蔵馬は、俺の手を無理矢理に握ってきた。
 絡められる指は、冷たいはずなのに。何故か、温かく感じた。

(2005/12/15)





溜息

「はぁ」
 吐き出す息は白く。開け放たれたままの窓から逃げていくその色が、彼の元に届けばいいなどと、意地悪なことを少し考えてみては笑った。
 例えそれが彼の元に届いたとしても、どうせ気にも留めないだろうから。
「たまには、顔を見せに来て下さい。か」
 オレの言葉に、彼は口元を歪めた笑みを浮かべ、気が向いたらな、と呟いた。
 あの日から、ずっと窓を開け放したままだということに彼は恐らく気付いていないだろう。その気まぐれな訪問を心待ちにしているということに気付いていないだろう。
「はぁ」
 殊に白く、想いを吐き出す。恐らく彼に届くことはないだろうけれど、届いたとしても気にも留めてもらえないだろうけれど。
 それでも、彼がオレの気持ちに気付いて困ればいいとほんの少しの意地悪と希望を込めて。

2006/1/19





non title

「言っておくが、何か欲しくて来たわけではないからな」
 乱暴に窓を開け部屋に入るなり、彼はそう言った。何、と訊き返したオレに何故か不機嫌そうな顔をする。
「もう一つ言っておくが、俺は何も持っていないからな」
 彼は訳の分からない言葉を並べ、オレは頭にはてなを並べる。
「何のことを言ってるのか、オレにはさっぱり分からないんだけど」
 彼が土足のままベッドに座ろうとするから、言いながら彼の隣に座ると、靴を脱がせた。すると、オレの言葉になのか行動になのか、彼の動きが一瞬止まった。
「気にするな」
 けれど、オレが靴を脱がし終える間に彼はいつもの彼に戻ると、そう呟いて体を丸めてしまった。
 間も無くたてはじめた寝息に、やれやれ、と溜息を吐く。
 久しぶりの訪問だっていうのに、抱擁もキスもさせてくれないなんて。
 だからといって、幼子のようなその寝顔を壊すわけにも行かず。体を捻って毛布をかけてやると、開け放したままになっていた窓を締めようと立ち上がった。
 立ち上がろうと、した。
「いつの間に」
 体にかかった軽い抵抗の原因に微笑い、再び腰を降ろす。
「風邪、ひいても知りませんよ」
 窓から吹き込んでくる冷たい風に呟くと、オレの動きに引かれて毛布からはみ出した彼の手を、包むようにして握り締めた。

2006/2/14





non title

 久しぶりの快晴だ、と。窓を開けたその先は、真っ暗な闇だった。
「邪魔だ。退け」
「……それってこっちの科白ですよ」
 降って来た声に苦笑し、手を伸ばす。  靴を脱がせ、筋肉のせいで見た目よりも重いその体を抱き上げて退かす。
 やっとのことで視界に広がった青空に、改めて、快晴、と思った。
 丁寧に深呼吸を繰り返し、振り返る。
「何をニヤついてやがる」
「快晴だな、と。思いまして」
 魔界にいたときは、青い空なんて知識は知っていても想像は出来なかった。それが今では、赤い空を思い浮かべるほうが難しい。
 もう一度窓から顔を出し、その青を眺めていると、くだらん、と溜息混じりの声が聴こえた。
「そう珍しいものでもないだろう」
 振り返ると、彼はベッドの隅で寛ぎ、早くも眠りに就こうとしていた。
 その平和すぎる科白と姿に微笑いながら、そうですね、と呟く。けれどそれはもう彼の耳には届いていないらしく。
 ただ、寝息だけが返ってきた。

2006/5/31





 動物は、本能的に火を怖がる。
 人間は、火を自在に扱えるようになったから、他の動物から一歩踏み出せたのだという話もあるけれど。
 人間になった今でも、オレは火を好きにはなれない。
 それは支配しているものが植物だからなのかも知れないし、動物であったころの本能が未だどこかに残っているからなのかも知れないけれど。
 いや、違うか。
 好きになれないのは、人間界の、火。緋色の。
 それを綺麗だという人もいるけれど。オレはそれ以上に綺麗な緋色を知っているから。だからきっと、好きになれない。
 それと。
 オレの中で、火…炎は、黒いものだと。そう、なってしまったからだと――。

2006/6/15





外は雨。

雨は嫌いじゃない。
彼を部屋に閉じ込めて置けるから。

けれど。 初めから雨が降っているという状況は、好きじゃない。
彼はどこかで雨宿りをしているだろうから。

今日は、目覚めたら雨だった。
だからきっと、彼は来ない。

2006/7/20





non title

「何が楽しくて、こんな生活を続けている?」
 土足で部屋に入るなり、彼は言った。投げ出した足の前でしゃがみ、靴を脱がす。
「こんな生活って?」
「……さぁな」
 靴を脱がし終わると、彼はオレに背を向けるようにして丸くなった。その姿に、猫のようだと微笑う。それともうひとつ。思い返しては、付け加えるように微笑った。
「何が可笑しい?」
「人間界(ココ)にいると、退屈しないなぁと思いましてね」
 彼の隣に座り、見た目よりも柔らかいその髪を撫でる。
「退屈だろう、こんなところ」
 もぞもぞと気だるそうに動かしてはオレの膝に頭を乗せるから。少しだけ膝を曲げて彼の顔を近づけると、額に唇を触れさせた。
 ゆっくりと、足を伸ばす。
「まぁ確かに、場所としては、退屈かもしれないですけど、ね」
 でも、ここにいれば。あなたからオレのところへ来てくれるし。あなたの口から、面白い質問が出てくるし。
「面白いですよ、色々と。だからあなたも、オレの元(ココ)に来るんでしょう?」
「……ここは面倒だ」
「だったら、ここで一緒に暮らします?」
「…………」
「……オレとしては。そうしてくれると嬉しいんだけどなぁ」
「ふん。場所としては退屈、なのだろう?」
 少し、驚いたような顔をしたから。微かな期待をしていたのだけれど。彼は口元を歪めてそう言うと、横を向いてしまった。
 けれど。
「魔界でなら。それも考えてやらんことではないが、な」
 呟くようにしていうと、彼は髪を撫でていたオレの手に指を絡めては早々に眠りについてしまった。

2006/9/3





non title

「そんなにも、母親が大切か」
 気配はずっと感じていたのだけれど。窓が開くと同時に声をかけられて、オレは少しだけ驚いてしまった。
「……ええ、まぁ」
 オレが驚いたことが珍しいのか、彼は口元を僅か吊り上げて笑うと、ベッドに腰を下ろした。
 近寄り、靴を脱がしてやる。
「どうしたんです?オレよりも先にあなたが言葉を放つなんて」
 珍しいのはあなたのほうだと。言い聞かせるように笑って見せると、彼は不機嫌そうにオレを見つめた。
「悪いか?」
「ああでも、そう珍しいことでもない、か。あなたは…」
 彼の視線を笑顔で交わし、隣に座る。そのまま彼の手をとろうとしたけれど、あっさりとよけれられ。けれども肩を押されて体を倒された。
「何?」
「続きが先だ」
「……あなたは。母さんのこととなると何かと質問してくるから」
「…………」
「今度は、あなたの番。この状況は、一体どういうつもりなんですか?」
「お前も風邪をひいているのだろう?」
「気づいてたんですか」
「寝ていろ」
 言い聞かせるようにいい、オレから手を離す。立ち上がった彼は、それまでオレが座っていた椅子へと移動した。
「柔だな。人間の体は」
「そうですね。でも、だからこそ面白い」
「……面白い?」
「トラブルのない生活なんて、つまらないでしょう?」
「トラブルは、無いに越したことはないだろう」
「あなたは。楽に倒せる雑魚と戦っていて楽しい?」
「…………」
「物事は予定通りに行かないから面白い、って言うこともあるんですよ。今日のあなたみたいに」
 一度体を起こし、きちんとベッドへと横たわる。
 いまいち納得のいかない顔をしている彼に微笑うと、オレは手を伸ばした。素直に、彼がオレの元へと引き寄せられてくる。
 指を絡めるようにして、手を握る。すると彼は、何かを思いついたようにニヤリと笑った。
「この手を」
「?」
「離すことと、繋いでること。お前にとってはどちらが面白い?」
「……オレとしては。手を繋いでいることのほうが予定外だけれど。面白いのは手を離すことかな」
「?」
「このままじゃ、あなたを抱きしめられない」
 訝しがる彼に笑顔で言うと、オレは素早く手を解いてその小さな体を抱き寄せた。
「これは。あなたにとっても面白いこと?」
「……そうだな。だが、予定通りの行動だ」

2007/4/29





ホルノマボロシ

「後悔、しているのか」
 ぼんやりと月を眺めていると、彼は気だるそうな声で言った。
 振り返り、笑顔を作るけど。彼の目は嘘など望んでいなかった。
「騙せませんね、あなただけは」
「騙す気がないだけだろう」
 ベッドに座るり手を伸ばすと、オレの予想よりも早く彼の頬に触れた。猫のように、彼が擦り寄っている。
「そう。少しだけ、後悔してるよ」
 顎を掴み、見つめる。彼が目を細めたのを了承とみなし唇を重ねた。
「何故だ」
「あなたが、後悔しているから」
 上体を起こそうとする彼を制し、その体を跨ぐ。もう一度口付けをすると、数時間前と同じ箇所に同じように唇を落としていった。
 ただ、違うのは。薬草を唾液に混ぜて塗りつけていったということ。
「どういうつもりだ」
 彼の体から消えてゆく痕跡。けれど、オレの背中や腕には、彼がつけた爪あとが残ったまま。
「あなたは忘れてくれていい。オレが忘れないから。ただ。オレが憶えていることを、許して欲しいんだ」
「蔵馬」
 彼の体はもう、今夜が始まる前までに戻った。後は彼の心を戻すだけだ。
「あなたはこんな関係を本心から望んでいなかった。例えこれがあなたから誘ったことだったとしても。それは一時の気の迷いが、躊躇わせる間もなく運んでしまっただけ」
「俺は今はこんな感情を抱くことも悪くないと」
「いつかきっと後悔する。現に今だって。少しは」
「戸惑っている、だけだ。自分の中にある感情に」
「それがいつか後悔になる。それは、オレには耐えられない。オレのせいで、なんて。そんなこと」
 夢幻花の種を取り出し、妖気を送る。
 そこまでしてようやくオレが本気なのだと分かったのだろう。彼は肩の力を抜くと、小さく溜息を吐いた。
「それならば。何故誘いに乗った」
「それであなたの淋しさが薄らぐのならと思った。あなたのためになるのだと」
「お前の感情は、ないんだな」
「あなたのためにならないことはしたくない。そのためなら、オレは自分の感情だって押し殺す」
「押し殺したのか?」
「これから」
「矛盾だな」
「分かってます」
「今夜の記憶を消しても、また同じ事を繰り返すだけかも知れないぞ」
「それであなたがまた後悔するのならば、オレは何度でもあなたの記憶を消しますよ」
「繰り返すのならば放っておいても同じじゃないのか」
「後悔。しなくなったら、放っておきますから」
「バカだな」
「分かってます」
 オレが頷くと、彼は小さく笑った。頬に手を当て、触れるだけのキスをしてくる。
「やるなら早くやれ」
「うん。飛影」
「なんだ」
「好きだよ」
「そういうことは、俺が目覚めてから言え」
「そう、だね。じゃあ」
 彼の言葉に曖昧に頷き、花を差し出す。彼は自ら花粉を嗅ぐとそのままゆっくりと瞼を閉じた。
「またね、今日の飛影」

2007/4/29
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