祝福の花吹雪。
 おめでとう、と呪文にしか聴こえない言葉の中、俺にしか見せないはずの笑顔で返す奴がどうしても許せなかった。




AWAKE




「っ」
 首に回された手。その一点だけが妙に冷たく、俺は顔をしかめた。
「ああ、ごめん。忘れてた」
 軽い笑顔。指に光るリングを外しベッドサイドに置く。
「なんだ、それは」
「指輪ですよ」
「知っている。が」
 お前は宝石を盗んでもそれを身に着けることはしないだろう?
 声にする前に唇で塞がれる。
 そうしていつものように微笑むと、残酷なことを言ってのけた。
「結婚するんだ、今度。だからもう、君とこういうことは出来ない」
 勿論、友人として会うことは出来るけれどもね。多少無茶をすれば逢引だって可能かもしれないけど。こまめには無理になるかな。
 いつもの人をからかうような口調ではあったが、それは決して嘘ではなかった。
 証拠に、今夜が最後だとでも言うように。奴はなかなか俺を解放しようとはしなかった。


 何故、なのか。理由は知らない。今更知る気も起きない。
 妖怪の存在が常識となった今、それでも尚、人間として生きると決めた奴のある種のけじめなのだろうと勝手に解釈をしている。
 それ以外の理由など、考えたくもない。
 俺以外に、俺以上の感情を抱いたなどとは。決して。




「……久しぶりだな。10年か?尤も、お前にとってはたいした時間ではないのかもしれないが」
 幻海の13回忌とやらで懐かしい顔が集まるというので、足を運んだ。特に無視をしても良かったのだが、必ず来いと幽助やコエンマだけでなく雪菜にまで言われてしまっては。元々断るような用もない俺は行かざるを得なかった。
「いいのか、そんな姿で」
「余り、老いた姿をお前に見られたくないのでな」
 老いた、といっても人間の年齢で30歳も行かないだろうが。久々にあった奴は銀色の髪をなびかせて不敵に笑っていた。
「それに、あの姿だと欲情するかもしれないだろう?」
「ふん。年中発情期なヤツが何を……」
「オレじゃない。お前が、だ」
 クスクスと笑いながら、手を伸ばす。俺の首筋に触れると、そこから下げられた氷泪石に唇を落とした。
「俺が?お前に?馬鹿馬鹿しい」
「……そうか?オレは充分欲情しているんだがな」
 石から離れた手が再び首筋に戻る。その手に意識を向けている隙を付かれ、唇が重なった。微かに体が強張る。
「南野の姿よりは近いにおいになってるとは思うのだが。やはりお前は妖狐(オレ)が苦手なのだな」
 笑いながら言っていたが、その目には少しだけ淋しげな色が見えた。
 確かに。俺は妖狐(ヤツ)が苦手だ。
 中身は同じだと分かっているのだが。話す口調や瞳の色。触れる肌の感触がどうしても俺の知っているそれと一致しない。だから、嫌いというわけではないが警戒心が何処か残ってしまう。蔵馬はそれを知っているから、滅多なことでは妖狐の姿では俺と交わろうとはしなかった。
 それを知っていてその姿で現れたということは、遠まわしに俺を拒絶しているのだろうか。
「だが、その姿で幽助たちに会うわけにもいかないだろう?戻れ」
「……10年、我慢していたのではなかったのか?」
「お互い様だろう?」
 手を伸ばし、首からかけられたリングに触れる。恐らく、妖狐の姿にそれは小さいのだろう。
「とっとと戻れ。首が疲れる」
「……結局。あなたは殆ど背が伸びませんでしたね」
 穏やかで柔らかい口調。碧い目が半月を描く。
 自分で言い出したことではあったが、オレは軽く混乱していた。何故こいつは人間の姿に戻った?俺を拒絶するのなら、妖狐のままでいるはず。いなければならないはずだ。
「飛影」
 優しく呼ばれ注意をも戻した俺は、掴んだままのリングを、その鎖を引きちぎると遠くへと思い切り投げた。
 さして驚く様子もなく、リングの軌跡を蔵馬は見つめていた。
 その視線を自分へと戻すために、強く髪を引く。
「飛影」
「俺はあの時からお前を許してなどいない。一瞬たりとも、だ」
「10年も想い続けてくれたんですか?」
「……当たり前だ」
 懐かしい感触が頬に触れ、唇に降りる。
 久しぶりに見た姿は、あの頃と大して変わってはいなかった。元々化けることが得意な種族だ。見た目の年齢くらい如何様にも変えられるのかもしれない。
「そういえば。あなたって案外しつこい性格してたんですよね。いつまでも氷河の国を恨んでいるように」
 すべる指が再び石に触れる。そして紐を引きちぎると、リングとは反対の方向へと投げた。
「なっ。蔵馬っ」
「やっと名前、呼んでくれた」
 睨み付ける俺とは反対に、変わらない笑顔で俺に言う。
「お前っ……」
「うん?」
「……は。今、倖せなのか?」
「さぁ。どうだろうね」
「違うのか?」
「……オレの倖せは。君の傍に居ることだから」
「っ」
 それなら、何故っ。
 あの時しなかった問いをしようとして、俺は言葉を詰まらせた。
 これはきっと、大切な人を騙し続けて生きることを決めた、奴なりのけじめなのだと。そう、思うことにしたはずだ。別の理由など考えたくもないし、まして本当の理由など知りたくもない。
「彼女に夢を見せてあげることが。人間であるオレの、一番の願いだから」 
 人間である、と奴ははっきりと言った。
 ならば、妖怪としての願いは?妖怪としての倖せは何処にある?思わず訊きそうになったが、唇を噛み締めてそれを堪えた。
 妖怪としての倖せを訊いたところで、奴は人間として生きることを選んだのだから関係ない。
「けど……。こうやってあなたと向かい合ってると、揺らぎそうだよ。人間として生きる決意とか、彼女の存在とか、色々なものが」
 多分、あなたといる時のオレが一番人間らしかったのかもしれない。伸ばされた腕。蔵馬は俺を強く抱きしめると耳元で囁くように言った。
 けれど。俺が背に腕を回す前に、体は離されてしまった。
「蔵馬?」
「やっぱり、駄目だな。この姿だと、あなたは俺に気を許しすぎる」
「俺はお前に気など……。許してなどいないと、言ったはずだが?」
「……許したくなかっただけだろう」
 俺の心を見抜く、低い声。決して冷たいわけではないのだが、俺は思わず後退さってしまった。
「すまない、飛影。総てはオレの我侭だ。だが、オレも。……母が死ぬまではお前に許されるわけにはいかないんでな」
 許されるわけにはいかない。その言葉の意味を問おうとしたが、淋しげな笑みと、そして突風に遮られた。あの日のような、薄紅の花が五月蝿いほどに舞う。
「……そろそろ行くか。幽助もいい加減到着する頃だろう」
 開けた視界に、もう奴の笑みは無かった。銀色の髪をなびかせて、振り向くことなく歩き出す。
 その姿に淋しさは覚えたものの、白く大きな手を取る気にはなれず。俺は黙って奴にしたがった。
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