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自分に向かってゆっくりと近づいてくるその気配に、飛影は気付いていた。珍しい、と思った。いつもなら、気配を感じるのは姿が見えてからだというのに。 普段と違うその様子に、目隠しをしている目でその姿を確認しようかとも思った。しかし、飛影は額に手を持っていたところで自嘲すると、それを止めた。 馬鹿馬鹿しい。どうして俺がアイツを気にしなければならないんだ。気配を感じてから僅かに離していた背中をゆっくりと巨木につけ、再び目を瞑る。 暫くそうしてうとうととしていると、枯れ葉が風に乗って地面を転がる音とは明らかに違う、砕けるような音が聞こえてきた。それから、飛影、と自分を呼ぶ声も。 「寒く、ないですか」 自分の休んでいる巨木の根元から響く声。それは風や枯れ葉の立てる音にかき消されてしまいそうなほど穏やかなものだったけれど、飛影の耳にはしっかりと届いていた。しかし、飛影はその声に応えるどころか、名を呼ばれた時に薄く開けた目を再び閉じてしまった。馬鹿馬鹿しい。その呟きが、まだ頭の中に残っている。 「飛影」 数秒の後、再び声がした。今度は吐息まで感じるほどの距離で。 嫌な予感に飛影が目を開けると、案の定、鼻先が触れ合うほどの近さで蔵馬が見つめていた。飛影の足の間に両手をつき、そこから出来る限り体を前に突き出した姿勢で。 「寒くは、ない」 予想をしていたとはいえ、それ以上に近すぎる距離と優しすぎる目に、飛影は呟くと目をそらした。そうですか。溜息混じりに、蔵馬が頷く。それでも、蔵馬は楽な姿勢をとろうとはしなかった。仕方がなく、何だ、と聞いた飛影に優しく微笑む。 「この間のお返しにパイを焼いたんですけど。食べに来てくれませんか」 この間。それがいつのことを指すのか、飛影は見当もつかなかった。だからと言ってそれがいつのことか聞くことも出来ずただ見つめていると、ビターチョコ、と蔵馬の口が動いた。その単語で、ようやく飛影も理解する。 「オレの部屋、一緒に行ってくれませんか」 改めて言う蔵馬に、飛影は返事をする代わりに地面へと降り立った。ゆっくりと歩き出す飛影を追いかけるように、蔵馬も枝から降りる。 「しかし、貴様も可笑しな奴だな」 並んだ蔵馬に、飛影はそう言うと笑った。 あの日から今日までに幾度も会っているというのに、どうして先延ばしにする必要があったのかと、飛影にはそれが不可解だった。わざわざ自分をこうして迎えに来たのだから、もっと早くに礼をすることも出来たはずなのに。可笑しな奴だ。再び思っては、笑う。 そんな飛影を横目で見ていた蔵馬は、溜息を吐くようにして微笑むと、言った。 「オレには、あなたのほうが可笑しく思えて仕方がないですよ」 「何故だ」 「それは。そうですね。パイでも食べながら、教えてあげますよ」 そういえばオレも、あなたに今日のことについては話したことありませんでしたね。独り言のように続けると、蔵馬は訝る飛影に構わず、帰路を見つめ少しだけ足を速めた。 |
円周率の日でもあるそうです。 また、円周率をπ(パイ)ということから、食べ物のパイの日でもあるということで。 |
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