バタバタと自分たちのいる部室へと向かっている足音が聞こえてきた。それが誰の音か瞬時に察知した不二は心の中でカウントダウンを始める。
さん…に…いち…
零、と呟くのと同時に大きな音をたてて扉が開いた。息を切らして立っている彼。全てが自分の予想通りだったことに満足し、不二は微笑った。反対に、隣に立っている男は、滅多に慌てることのない彼の姿を見て唖然としていた。
彼はキョロキョロと部室とコートを交互に見る。笑いを噛み殺し不二は立ち上がると、彼に近づいた。
「何?手塚?」
突然目の前に現れた不二に気付き、彼はたじろいだ。
彼は不二が苦手だった。あまり近づきたくない人間。いつも微笑っていて、何を考えているのか解からない。自分の好きな人、手塚のことを好きだといっていることもそれを手伝っていた。微笑っていても、自分のことを酷く恨んでいるかもしれない、と。何故なら、彼は不二の想い人といわゆる恋人という仲をとっているからだ。
「え、あ…っス。」
眼をそらしながら頷く彼に、不二は苦笑した。
「そんなに嫌煙しないでよ。越前君のこと、好きなのに。僕、傷ついちゃうな」
何を、言われたのか。リョーマには一瞬解からなかった。不二が自分のコトを好いていてくれるなんて考えたことはなかったから。もしかしたらからかいの一種なのかもしれないと思い、リョーマは不二を睨みつけた。
「冗談言わないでくださいよ」
けれど、リョーマの視線は簡単に受け流されてしまう。かわりに向けられた、真っ直ぐな蒼い眼。
「冗談なんかじゃないよ。本当なんだ。僕は、君が好きなんだよ」
滅多に聞くことのない真剣な声色と眼に、リョーマは思わず顔を背けた。瞬間、捕まれる腕。
「……離してくださいよ」
「手塚の場所、知りたいんでしょ?」
口元に笑みを浮かべると、不二は空いているほうの手でリョーマの顎を掴んだ。自分の方に顔を向けさせ、ゆっくりと近づける。
「やっ、めてください!」
リョーマは何とかその手を振り解くと、逃げるようにして部室を出て行った。
「手塚なら、生徒会があるから遅れるって言ってたよ。多分、会議室にいると思うから!」
不二は慌てて部室から顔を出すと、どんどんと小さくなっていくリョーマの背中に叫んだ。リョーマが少しだけ自分のほうを振り返ったのを確認すると、不二は安堵の溜息を吐いた。部室に入り、扉を閉める。
「理解に苦しむな。一体、お前は何がしたいんだ?」
突然、傍観者から声をかけられ、不二は顔を上げた。
「…乾。」
パイプ椅子に座り、いつものデータノートを片手に呆れた表情で自分を見ている乾に、不二は苦笑した。
「馬鹿だと、思うかい?」
パイプ椅子を持ち、乾の隣に広げると不二は腰をおろした。
「……確か、お前は手塚が好きなんじゃなかったのか?」
パラパラとページをめくると、乾が訊いた。不二はそれが1年前の自分のデータが書かれている場所だということに気づき、また、苦笑した。
「うん。手塚、好きだよ」
「だったら、何故、越前に手塚の居場所を教えたんだ?」
「さぁね」
「……そういえば。手塚と越前が上手くいくように裏で何かやってようじゃないか。越前は何も知らないようだが」
「あはは。データ収集かい?感心するね」
「はぐらかすなよ」
静かな声で言うと、乾は不二を睨んだ。それを受け流すように、不二は微笑う。
「僕はね、手塚と同じくらい、越前が好きなんだ」
「………?」
「だからね、彼らには幸せになって欲しいんだよ。手塚と越前が幸せでいることが、僕にとっての幸せ。」
笑みを浮かべたまま、いつもと変わらぬ調子で不二は言った。乾は溜息を吐くと、椅子に座りなおした。
「すまなかった」
何が、とは言わず、謝る。
「ううん。別にいいよ」
不二は微笑って首を横に振った。
そのまま、沈黙が続いた。どうしたらいいのか解からない乾は、しきりにページをめくる。その音だけが部室に響いていた。
「……苦しくは、ないのか?」
突然、乾が絞るような声で訊いた。不二は立ち上がると、歪んだ笑みを乾に向けた。
「苦しいよ」
呟き、深呼吸をする。
「でも、こればっかりは、しょうがないよ。だって、僕じゃ彼らの幸せにはなれないもの。僕が彼らを好きでいる限り、この苦しさはつきまとう」
「………。」
「それでもいいんだ。この苦しさは、僕が彼らを好きだっていう証拠だから」
哀しみに満ちた表情。それを見た乾は何故か不二が愛おしく思えて。気がつくと、不二の前に立ち、その手を掴んでいた。
「乾?」
「……なんなら、俺がその苦しさを取り除いてやろうか?」
真剣な眼で見つめる。乾は掴んだ不二の手に唇を落とした。引き寄せ、強く抱きしめる。
暫く黙っていた不二だが、突然笑い声を上げると、乾から身体を離した。
「やめようよ、そういう冗談。僕には彼らしか見えてないし、第一、君には海堂がいる。」
「……知っていたのか?」
「うん。まあね」
不二は優しく微笑うと、その首に腕を回し一瞬だけの口づけをした。
「さて。そろそろ部活行こっか。あんまり遅いと、手塚が戻ってきちゃうよ?」
サボってるのバレたら走らされちゃう、笑いを含んだ声で言うと、不二は驚きに目を丸くしている乾を残し、部室から出て行った。
「……これはまた、随分と勝手だな」
唇に手を当て、その感触を確かめると、乾は苦笑した。
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