天体観測

「冬ほどは、綺麗に見えないね」
 忍び込んだ学校の屋上。慣れない手つきで望遠鏡をセットしている俺を尻目に、不二は少し怒ったように呟いた。望遠鏡越しに、不二を見る。俺の視線に気づいた不二は、楽しそうに微笑った。
「ねぇ。望遠鏡のセットが終わったらさ。一緒に宙(そら)に昇らない?」
 俺の視線から逃れるように背を向けると、不二は宙を仰いだ。意味不明の不二の言葉はいつもの事だから、俺はそれを無視して望遠鏡を月へと向けた。ピントを合わせる。
「非道いな。シカト?」
 その言葉と共に、俺の視界はブラックアウトした。望遠鏡から顔を離すと、不二がレンズを手で押さえていた。直に俺と目があった不二は、さっきよりも楽しそうに微笑った。何となく、眼鏡を直す。
「無視をしたつもりはないが。あれだ。次の言葉を待ってたんだ。不二はいつも言葉が足りなすぎる」
「愛があれば理解るでしょ」
「人の心なんて、そう簡単に読めるものじゃないさ」
「それって、自分の生き方否定してない?データマンの、乾貞治くん」
「生憎、俺は心理データを取り扱ってないんでね」
 呟いて、持ってきていた折り畳みの椅子に腰をおろす。はぁ、と溜息を吐く俺に、用意周到なんだね、と不二は微笑った。また、溜息を吐く。
「不二が用意しなさすぎなんだ。自分で誘っておいて、持って来たのは望遠鏡と鍵だけだなんて」
「だって、乾が持ってくるって理解ってたから」
 ほら、と俺の荷物からもう一つの椅子を取り出すと、不二は俺の隣にそれを広げ、座った。
「乾の事、信頼してるからさ」
 俺の肩に頬を寄せ、クスリと微笑う。夏の夜空が冬ほど明るくない事は、幸いだったようだ。平静を保ってはいるが、さっきから、頬が異常なほどに熱い。はっきりと見えていたら、不二に何を言われる事か。だが、見えないからと言って安心は出来ない。不二は俺と違って、人の心を読めてしまう。簡単にかどうかは知らないが、俺に関しての事なら83%の確率で当てて来る。
「そんなことより、だな」
 不二に真意を悟られないように気をつけながら、俺は肩から不二を離し、立ち上がった。
「宙に昇るとは、どういう意味なんだ?」
「ああ。だから」
 勢いをつけて立ち上がった不二が指差した西の空には、何故か星がなかった。目を凝らしてみても、街灯以外、それらしい輝きは見られない。
「ね。君の予報じゃ今夜は快晴みたいだけど。どうやら雨雲が迫ってきてるみたいなんだ。さっきから、湿った風も吹いてるしね」
 両手を広げ、また、宙を仰ぐ。不二の髪を風が梳いていく。俺には理解らないが、どうやらこの風からは雨の匂いがするらしい。
「まあ、俺が新聞で確かめたのは朝だからな」
「…それって言い訳。データは日々進化しているのだよ、乾くん」
 宙から俺へと視線を移動させると、不二は微笑った。
「雨雲、宙に昇って掃除出来たらいいのにな」
 冗談とも本気とも判らない口調で言いながら、望遠鏡を覗き込む。無邪気なその後ろ姿に、俺は溜息を吐いた。
「何、溜息。詰まらない?」
 綺麗だよ。望遠鏡から顔を離すと、不二は俺を手招いた。それでも動こうとしない俺の手を引き、望遠鏡を覗くように促す。
「大昔のヒトの眼になりたいって、思う時ない?」
 望遠鏡から顔を上げた俺を見つめると、不二は呟いた。俺の手を握り、指を絡ませてくる。
「何故?」
「だって、僕たちはどうやったって、あれがオオカミとかヘビ使いとかには見えないもの。きっと、常識なんてモノが出来ちゃったからなんだろうね。そう思うと、羨ましくなる」
 言うと、不二は遠い眼で宙に瞬く星を見つめた。
「不二でもそう思うなんて、意外だな」
「何で?」
「俺が出会った奴等の中で、恐らく不二が一番常識から程遠い所に居る」
「何それ。それじゃ、僕が莫迦みたいじゃない」
 俺を見つめると、不二は怒った口調で言った。だが、その眼は楽しそうに微笑っている。
「馬鹿とは言ってないさ。ただ、羨ましいと思っただけだ。恐らく、不二が出会った奴等の中で、俺が一番常識に囚われているだろうからな」
 不二を見つめ、俺も微笑って見せた。そうかもね、と不二が呟く。
「でも多分、常識って言うよりも、乾は過去とか未来とかに囚われてる気がするな」
「……何?」
「だからね、イマここにある現実を受け止めて、もっと楽しもうって事。もう直ぐ降り出す雨も、それに怯えてさっさと片付けをするんじゃなくて、雨が降ってから考えましょうって事」
「……は?」
 また、不二の意味不明な言葉。訳が理解らずにいる俺にクスクスと微笑うと、不二は真上を指差した。そこには、もう星は見当たらない。
「雨。降るよ」
「なっ…」
 不二の言葉に慌てて望遠鏡を片そうとする俺を見て、不二はクスクスと微笑った。俺の手を掴み、無理矢理椅子に座らせる。
「不二っ!?」
「だから、言ったでしょ。雨が降ったら、降ってから考えようって。大切なのはイマなんだから」
 俺が座った所為で身長差が逆転した。それをいいことに、不二は幼子を扱うようにオレの頭を撫でた。どこまでもマイペースを崩さない不二に、溜息を吐く。
「……全く。不二には敵わないな」
「まあ。唯一、乾がデータを取れない男だからね。というより、君にだけは取らせないようにしてるんだけど」
 呟く俺に、得意げに微笑って見せると、不二は俺の額に唇を落とした。温もりの後に、冷たいものが額に当たる。手を広げると、確かに、そこに滴が落ちた。
「雨。降ってきたね」
「…で、どうする気だ?」
「このまま、暫く濡れてよう。天体観測は中止だけど、僕らの夜はまだまだだし」
 言って、俺の頬にそっと触れる。伝ってくる滴を指で拭うと、不二は触れるだけのキスをした。





365題『天体』のコメントから。
バンプの『天体観測』を基に書いたつもりが…。
なんか、方向が違くなってしまいました。スミマセン。
でも、この話、気に入ってます。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送