「いつ観ても綺麗だよね。君の世界は」
 おれの部屋に入るなり、不二は水槽を眺めてそう言った。穏やかな声に、穏やかな眼。不二を、その綺麗な眼をイメージして創った世界なんだと言ったら、不二はなんて言うだろうな。
「餌、あげていい?」
「……ああ。でも、あげすぎないでくれよ」
「うん。理解ってる」
 素直に頷くと、不二はエサを本当に少しだけ、水槽に落とした。どうやら、魚がエサを食べる所を観るのが目的なのではないようだ。多分、おれの世界に入りたかっただけなんだろう。
「……パイロットフィッシュ」
「ん?」
「いや。最近読んだ本でさ、パイロットフィッシュっていうのが書いてあってね」
 言いながら、不二はおれの手を引くと、ベッドに座った。静かな部屋に、キシ、とベッドが軋む音だけが異様に響く。
「水槽の環境を作り上げる為の魚だって」
 で、いいんだよね?訊いてくる不二に、おれは、ああ、と頷いた。
 パイロットフィッシュ。そう呼ばれる健康な魚を最初の生物として水槽に入れることで、その魚の糞からバクテリアの生態系が小さな世界に発生する。そのバクテリアが水槽全体の環境を整えてくれるから、水槽内は半永久的に綺麗な状態に保たれる。まあ、それは理論上の話で、実際はそう上手くいかない。だから、ときどき水槽にこびり付いた僅かな苔を落としたり、水の入れ換えをしたりしなくてはならない。だけど、それさえしていれば、大袈裟な掃除をしなくても世界を綺麗に保つことが出来る。
「でさ。その本、物語なんだけどね、それにはパイロットフィッシュは捨てたり他の魚の餌にしたりしちゃうって書いてあったんだ。まあ、主人公はそんなことしてないみたいだけど。大石は、どうなの?」
 水槽からおれに視線を移すと、不二は少し不安そうな顔で訊いた。眼を閉じ、首を横に振る。よかった、と不二が微笑う。
「おれはパイロットフィッシュも含めて一つの世界だと思ってる。だから、彼らを殺すなんてことはしない」
 まあ、おれが臆病者だから、殺すことが出来ないって言うのが本音だけどね。
 苦笑しながら言うおれに、不二は、それでいいんだよ、と微笑った。おれの頬を両手で包み、触れるだけのキスをする。
「それともう一つ」
 唇を離すと、思い出したようにおれは呟いた。
「これは、不二をイメージして創り上げた世界だからな。綺麗なままでいて欲しくて」
「……え?」
 おれの言葉に、不二が少し頬を赤くする。つられるようにして、おれも頬を赤くした。と思うけど、多分、不二よりも真っ赤になっているだろう。自分でも理解るくらいに、顔が熱い。いつまでもそうして見詰め合っているのも不自然なような気がしたから、おれは咳払いをすると不二から顔を背けようとした。その前に、再び伸びてきた手に顔を挟まれる。
「そうなんだ。ありがとう。嬉しいよ」
 キスをした後でおれを抱き締めた不二は、囁くようにして言った。そのままおれを押し倒し、圧し掛かってくる。
「僕も、殺せないかな」
 おれの眼をじっと見つめ、不二が呟く。
「なんだ?」
 おれの頬に触れ、またキスをする。その蒼い眼は、おれの世界なんかと比べものにならないくらいに綺麗な色をしていて。まだまだだね、なんて、越前の口癖が頭に浮かんだ。クスリ、と不二が微笑う。
「パイロットフィッシュ。僕も殺せないよ」
 だって、僕の環境を作り上げてくれる魚は、大石なんだから。
 囁くようにして言うと、不二は海よりも深い青色を細め、微笑った。





文庫になってたので、買ってしまいました。『パイロットフィッシュ』(大崎善生)
去年に読んだんですけどね〜。どうしても欲しくてさ。
そんなわけで。それを読んでいたら不二大が思いついたとさ。

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