キャラメル


 返された本を棚へとしまう。彼が図書室を出て行ったのを確認すると、俺も外へと出た。閉館の札を扉にかけ、再び図書室へ入る。
 カウンタにまわり、椅子に座ると、ぼんやりと窓の方を眺めた。カーテンのから差し込む朱色の光。眩しさの向こうで、桃先輩がはりきって部長をやっているのが見えた。時計に眼をやると、四時半を少し回ったところだった。だいぶ日が延びてきたと思う。
「まだ、僕がいるんだけど?」
 突然、視界が暗くなる。俺は慌てて焦点を合わせた。
「……気配を絶って近づくの、やめてくれません?悪趣味っスよ、不二先輩」
 飽きれたように言と、先輩は頬杖をついてクスリと笑った。
「周助で良いよ。僕とキミ以外、誰もいないんでしょ?ここ」
「多分ね」
 俺の曖昧な言葉に、先輩はさっと辺りを見回した。誰もいないことを確認し、俺に視線を戻す。
「で。僕がいるのに、何で閉館の札をかけてきたの?」
 俺の行動を見ていたのだろう。先輩は扉の方を指差して言った。俺は視線を指差す方へと移した。
「……アンタは数に入れてないっスから」
 扉の方を向いたまま、言う。理由を問われると思ったが、ふぅん、と呟くと自分がさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。読みかけの本を開く。
 俺は先輩の真剣な眼を見たくて、カウンタを出ると先輩の向かいの椅子に座った。
 先輩の真剣な眼を俺はあまり見たことがない。テニスの試合をしているときは確かにそういう眼をするのだけれど、それはボールがラケットに当たるほんの一瞬だけ。それ以外は常に笑みを浮かべている。だから、こういう時でもないと、先輩の真剣な蒼い眼を長時間見ることは出来ない。先輩は本を読み始めると周りのことは殆んど気にならないみたいだから。
 退屈な委員会の、唯一の良いところ、かな。
 どれくらい経っただろうか、小さな溜息と共に先輩は読んでいた本を閉じた。どうやら、その本を読み終えたらしかった。
「さて…っと」
 大きく伸びをして時計を見る。俺もつられるようにして時計を見た。5時を過ぎていた。
「リョーマは部活、行かないの?」
 立ち上がり、本棚の方へと向かいながら先輩は訊いた。
「今日はサボりっス」
 視界から先輩が消える。俺は少しだけ声を大きくして答えた。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
 沈黙。俺の声が届いていないのかと思った。
「先輩?」
「ふぅん。」
 俺が呼ぶのと同時に、先輩は本棚の間から姿を現した。
「なんだ。聞こえてたんだ」
 俺の呟きが聞こえたのか先輩は可笑しそうに微笑った。俺の前ではなく、隣の椅子に座る。
「いいの?無断欠席なんかして」
 カーテンの隙間から見える、赤紫の景色を見つめながら先輩が言った。その眼は懐かしいモノを見るそれだった。
「いいんスよ。別に、桃先輩はどっかの部長と違って、走らせたりはしないっスから」
 俺の言葉に先輩は軽く笑うと、妙に納得したように頷いて見せた。
「確かに、桃は走らせたりはしないだろうね。キミは、ね」
 言葉の引っ掛かりに俺は眉を寄せて先輩を見た。それに気づいた先輩も俺を見る。
「だからね、キミは特別ってこと。」
「は?」
「あれ?もしかして気づいてなかったの?」
 頭に「?」を浮かべている俺を見て、先輩は可笑しそうに笑った。そのあとで、咳払いをひとつし、人差し指を俺に向けた。
「桃はね、キミが入部してからずっと、好きだったんだよ。リョーマの事を」
 人差し指を近づけ、そのまま俺の額を小突くと、先輩は窓へと視線を戻した。
「嘘でしょ?やめてくださいよ、そんなジョーダン」
「ホントだよ。だって僕、相談されたことあるもん」
「うわっ。まじっスか?気持ち悪ぃ…」
 俺の言葉に先輩は不思議な生き物を見るような視線を俺に向けた。
「気持ち悪い?ナンデ?」
「何でって…。だって、俺、男っスよ?」
「僕も男だよ」
「う゛……。」
 そうだった。俺は男で、先輩も男。でも、世間で言う『恋人』という関係であるのも事実。だから、桃先輩の気持ちを否定することは先輩の気持ちを、俺の気持ちを否定することでもある…?
 けど、なんか、それとこれは別のような気がする。
「せ、先輩は別っス」
 顔を伏せるようにして、言う。隣でクスリと微笑う声が聞こえた。
「我侭だね、リョーマは」
「………じ、じゃあ」
 俺は小さく深呼吸すると、顔を上げて先輩を見つめた。
「先輩は、俺が桃先輩の気持ちを受け入れて、それに答えてもいいって言うんスか?」
 思わぬ反論に一瞬困ったような表情になったが、それはすぐに真面目なものへと変わった。
「それは駄目だよ。そんなの、許さない。」
 滅多に見れない真剣な眼に、俺は溜息を吐いた。ったく。このヒトは…。
「我侭なのはどっちなんだか」
 思わず、本音が出る。怒るかと思ったが、先輩は眼を細め愉しそうに微笑った。
「いいの。僕は我侭でも」
「……そんなの、ずるいっスよ」
「あはははは…」
 微笑い、先輩は窓を見つめた。俺も視線を窓へ向ける。ほんの少し目を離しただけなのに、外はあっという間に暗くなっていた。
 無言で窓を見つめていると、不図、左手に温かな感触を感じた。視線を落とすと、先輩の右手があった。手を動かし指を絡めると、俺は先輩を見た。けれど、先輩は俺を見ることは無く、視線は窓…いや、それよりももっと遠くの何かを見ているようだった。
「……あとどれくらい、こうしていられるんだろうね」
 ポツリと、先輩が呟く。
「今日が水曜だから…あと2日っスね。俺、今年度の当番は今週で終わりっすから」
 あとは来年。先輩が卒業してからの話だ。
「……そういう意味じゃ、ないんだけどね」
 クスリと微笑うと、先輩は俺に視線を移した。その眼には、微かだけど、哀しみの色が浮かんでいる。
「じゃあ、どういう意味なんスか?」
「僕たちは、あとどれくらい一緒にいられるのかなって。長い人生の中、タイセツナヒトとしてね」
「……たいせつな、ひと?」
「そう。大切な人。」
 言うと、先輩は優しく微笑った。俺の答えを促すように。
「そんな先このことなんか、解かんないっスよ」
 俺の言葉に、先輩の顔が曇る。でも、本当にそう思う。先のことなんて、誰にも解からないし、解かりたくもない。
「最近、夢で見てからね。よく、考えるんだ。キミのいない僕の未来、僕のいないキミの未来を。リョーマは、考えたこと、ない?」
「ないっスよ。そんなこと」
 考えたくもない。
「なんかね、すっごく怖いんだ。夢で見たのは、今から何年後かの僕でね。キミのいない生活が当たり前になってるんだ。別れたときは、多分、凄く哀しんだと思う。でも、それも慣れてしまって、今はもう次を見つけてるんだよ。それが凄く怖くて、哀しかった。目が醒めたとき、夢で良かったって本気で思ったよ」
 繋いだ手は強く握られてて。俺は痛みに少しだけ顔を歪めた。
「でも。もしかしたら、それは夢じゃないのかもしれない」
 呟くと、先輩の手から力が抜けた。強く握られていたせいなのか、気持ちの悪い汗を掌に感じた。けれど、今はそんなことどうでもよかった。
「それって、どういう意味?」
「今、こうして僕はキミと一緒にいるけど。明日はどうなるか判らない。明日の約束をとりつけていたとしても。明後日は?明々後日は?1年後、5年後、10年後は……?ずっと…ずっと一緒に居たいって想うけど。この想いだって無くならないとも限らない。結局、『ずっと』なんてモノは存在しないんだ」
「……先輩の言ってること、よく解かんないんスけど」
 そんなことを言うのなら、何でさっき、あとどれくらい、なんて訊いたの?
「…………正直、不安、なんだよ。今はいいよ、居たいとき、一緒に居られるから。けど。僕が卒業したら、そうはいかなくなる。こうして校内で会うことは出来ないんだ。偶然に見かけることだってなくなる。生活のペースだって全く違うものになるだろうから、休日だってまともに会えなくなるかもしれない」
「でも、だからって…」
「慣れてしまうのが怖いんだ。キミのいない生活に。少しでも頭からキミの存在が消えてしまうのが怖いんだ。一瞬でも忘れたくないし、片時でも離れていたくはないんだ。我侭かもしれないけど、リョーマにもそうであって欲しいって思う」
 俺の手を握る先輩の手が、震えている。俺はその手を強く握り返した。
「ホント、我侭っスね、先輩は」
 先輩に笑みを見せると、俺はその肩に寄り掛かった。
「別に、俺はいいと思うけどね。忘れても。そりゃあ、そういう風に想えたら凄いなって思うし、嬉しいけど。でも、俺だったら、四六時中アンタのことばっかり考えてたら、きっと、飽きちゃうと思うんスよね。だから時々でいいと思うんスよ。時々、ふとした瞬間に想うんスよ。アンタのことを。そんで、ちょっとの淋しさとちょっとの幸せを感じる。そういうのも、ありだと思うんスよね」
 寄り掛かったままの状態で、横目を使って先輩を見る。先輩は遠くに視線を預けたまま、何かを考えてるようだった。もしかしたら、俺の言ってることの半分くらいは聞こえていないかもしれない。でも、とりあえず、俺は言葉を続けることにした。
「さっき、先輩が言ってくれたじゃないっスか。タイセツナヒトって。その気持ちだけあれば十分だと思うんスよね、俺。たまにしか会えなくなったとしても、その会ったときにタイセツナヒトなんだなって想えれば、それで。毎日考えてたら、やっぱ飽きちゃうと思うし。飽きなかったとしても、きっとそのうち壊れちゃうっスよ」
 一息ついて、俺はもう一度横目で先輩を見た。先輩は、はっきりとした眼で俺を見ていた。
「………そうかも、しれないね」
 苦しそうに微笑うと、先輩は俺から手を離した。俺は、先輩の顔をちゃんと見ようと身体を離そうとした。瞬間、肩を掴まれ、俺は強引に引き寄せられた。
「好きだよ。」
 短い口付けのあと、俺を強く抱きしめると先輩は耳元で囁いた。今、先輩がどんな顔をしているか解からない。けど、多分哀しい眼はしてないと思う。……してなければ、いいと思う。
 ――さきのことなんてわからない。だからたのしいんじゃない。
 前に先輩が言った言葉が、頭を過ぎった。
「俺も、好き。過去でも、未来でもなくて、現在のアンタが。今の周助が一番好き。」
 驚いたような顔の先輩に笑顔で言うと、俺はゆっくりと立ち上がった。先輩に手を差し出す。
「帰りましょうか。そろそろ先生が見回りにくる時間っスから」
「……そうだね」
 照れたように微笑うと、先輩は俺の手をとった。触れ合う手から、温もりと一緒に幸せが伝わってくる。
「月。綺麗だね」
「そうっすね」
 学校を出た俺たちの目に入ったのは、大きな、月。
「キャラメル色だ」
 今存在(あ)る幸せが、ずっと続けばいいと思う。でも、先輩の言った通り、先のことなんて解からないし、「ずっと」なんてモノはないのかもしれない。
「寒いっスね」
「うん。」
 けれど。現在ここで俺が幸せを感じてることには変わりないから。とりあえず、この繋いだ手の温もりだけは忘れないよう、しっかりと心に刻みつけておこうと思った。





幸せだよね?
なんか話が上手くまとまってない気もしますが。アタシ的にはまとまってるかな、と(笑)
言いたいことが言えたので満足です。自分の思想にそっているかどうかは別として。
リョーマや不二の言っていることが変ちくりんなのは、
アタシが最近読んだ幾つかの本の影響がごっちゃになってあらわれているからです。
わぁい、もやしっ子♪

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