ベンチ


「……不二、先輩」
「んー?」
「いいんスか?こんなことしてて」
「こんなことって?」
「だからっ」
 言って体を揺すると、俺は何とかその腕を解こうとした。けど、暴れれば暴れるほど、先輩はきつく俺を抱きしめてきた。暑いのに、俺の背中に先輩の胸をピッタリとくっつけて。
「まだ部活中なんスから。いい加減にしないと、怒られますよ?」
「大丈夫、大丈夫。竜崎先生は出張で今日はいないし。他に僕たちを咎めるヒトなんて誰も居ないよ」
 猫みたいに俺の頬に自分の頬をくっつけて擦り合わせると、先輩はコートを見回した。瞬間、俺たちに向けられていた視線が、綺麗に無くなる。直ぐ隣にあるから見えないけど。きっと、今の先輩の眼はもの凄く鋭くなってるんだと思う。
 それにしても。手塚部長が九州へ旅立ったのをこれ幸いにと、先輩はいつでも何処でも俺と一緒に行動するようになった。学校では学年が違うし、部活じゃあんまりくっついてはいられなくて。そりゃ、下校からはずっと一緒だけど。だから、俺も先輩がくっついてくることが、嬉しかった。でも、それは、最初だけだ。
 もうそろそろ慣れてもいいはずなのに、周りの奴等の視線は痛いし。先輩はあれでいてサボり癖があるから、俺が練習中なのにも構わず抱きついてくるし。つぅか、暑いし。
 けど、先輩に注意を出来るのは竜崎先生か手塚部長だけだから。と言っても、その注意の効果があるのかどうかは別として、とりあえず、先輩に意見が言えるのはその二人だけ。だから、こうして竜崎先生の居ない日なんかは、俺はまともに練習も出来やしない。
 俺だって、先輩に意見できないわけじゃないけど。先輩は全然聞き入れてくれないし。それに、本当にどうしても嫌だって言うわけじゃないから。やっぱり、駄目。
 先輩も、きっと、そこらへんを知ってて俺に抱きついたりとかしてきてるから、余計性質が悪い。
 けど。
「でも、手塚部長が…」
 昨日から、帰って来てるから。ほら、コートの奥。さっきは乾先輩の蔭に隠れて見えなかったけど。もの凄い形相で俺を睨んでる。
「手塚?手塚が、どうかしたの?」
「こんなことしてると、本当にグラウンド走らされますよっ」
 回されてる腕を掴み、左右に引き離そうと頑張る。無理でも、頑張る。一応、俺が望んでこんな事されてるわけじゃないんだって言う意思表示。そうじゃなくても、不二先輩に気のある手塚部長は、俺にばっかり重い罰を与えるから。
 暴れる俺の視界の隅に時々入ってくる手塚部長。その姿はさっきよりも大きくなってて。顔を上げると、もうあと数メートルのところまで近づいてきていた。息を、吸い込むのが分かる。
「不二。越前。お前たちはグラウンド50周だ!」
 ほら。
「ったく。どーしてくれるんスかっ。アンタがこんなことしてくるから。俺まで50周も」
「ん?何のこと?」
 無理矢理振り返って怒鳴りつける俺とは逆に、先輩は相変わらず笑顔で言うと、また俺に引っ付いてきた。汗ばんだ背中に、シャツが張り付く。
「何のことって。いい加減にしてくださいよ。このままだと、周、追加されちゃうっスよ?」
 手塚部長、まだこっち見てるんスから。部長に聞こえない声で先輩に言う。けど、先輩は俺の手を緩めるどころか、そのままの状態で声を上げて笑い出した。
「ちょっ。先輩!なに微笑ってんスか」
「だって、リョーマ。さも手塚がそこに居るような言い方っ…」
 言葉が言い終わらないうちに、先輩の笑いは酷くなって。小刻みに揺れるから、俺の視界まで細かく上下に揺れた。
「さもって…。居るじゃないっスか。そこに」
「全く。リョーマ…おっと。まだ学校だったね。越前くんは、手塚が好きだね。ホント」
「は?」
 ここまで見せ付けといて、今更呼び方を気にするのは可笑しいんじゃないの?とかあきれてしまいそうだったけど。それ以上に、そのあとの先輩の言葉が意味不明で、俺は思わず妙な声を上げてしまった。
「ほら、越前くん。とりあえず、隣座って」
 そう言って、やっとのことで俺から手を離すと、先輩は自分の隣を叩いた。そのまま逃げ出してやろうかとも思ったけど、そうしたら後が怖いから。俺は大人しく先輩の隣に座った。途端、肩を掴まれ、向き合わされる。
「いいかい。辛いかもしれないけど、よく聞いて」
「……なん、スか?」
「手塚はね、九州で事故に遭ってね。亡くなったんだよ」
「はぁ!?アンタ、何言ってんスか。だって手塚部長はそこに…」
「だから。それはリョーマがまだ手塚の詩を死を受け入れられてないってこと。幻だよ。もしくは…手塚の霊だったりしてね」
 背筋が凍るような不気味な笑みを最後に見せると、先輩は俺から手を離し立ち上がった。さてと、と呟いて大きく伸びをする。その直ぐ隣に、今にも煙が出てきそうなくらいに怒ってる、手塚部長。
「おい、不二。何なんだ、今のは!」
 もの凄くでかい声で言うと、手塚部長は伸びをしている不二先輩の手を掴んだ。その手を下ろそうとしてるみたいだったけど。先輩の腕は、あがったまま、全然下がってこなかった。
 だから。まさか、俺が今見てるのは手塚部長の幽霊なんじゃないかって。ちょっと怖くなったけど。周りを見ると、皆の視線が、不二先輩と手塚部長に注がれていた。だから、手塚部長はちゃんと居るんだ。現世(ここ)に。
 なのに。
「なにしてんの。ほら、コート空いたから、打ちに行こう」
 手塚部長なんてまるでそこにいないかのように言うと、先輩は俺の腕を掴んだ。でも、俺の腕を掴んだ先輩の手を部長が掴んでて。俺は思わず、部長と目が合ってしまった。
 怒鳴られる。って思ったけど。逆に、手塚部長は、困っているから助けてくれ、と言った風な目で俺を見つめていた。
「昨日から、こうなんだ。絶対に嫌がらせとしか思えん。明らかに目が合うときだってあるんだ。どうにかしろ」
「んなこと言われたって…。取り合えず、その手、離してください」
「うん?何か言った?」
「……何でもないっスよ」
 俺を振り返り微笑う先輩に、溜息混じりに俺は返した。そう、と呟いた先輩が、楽しそうに口の端を歪ませて微笑う。
「手塚も今頃天国で僕たちを応援してるよ。さ、頑張ろう」
 嫌がらせだ。これは、明らかに手塚部長に対する嫌がらせだ。
 先輩の言葉に脱力したように手を離した手塚部長に、流石の俺も今回ばかりは少々同情した。けど。
「わっ………」
「駄目でしょう。余所見しちゃ」
 手塚部長が存在していないフリをしていても、やっぱり俺が手塚部長を見ているのが嫌みたいで。唇を離すと、先輩は少しきつい眼で俺を見つめて言った。
 部長には悪いと思ったけど。この先輩の眼には逆らえないし。逆らう気もないから。
「っス」
 帽子を目深に被り直して頷くと、俺は繋いだ手をしっかりと握り直した。
「っ越前!不二!」
 コートに向かって歩き出した俺たちに、後ろで何だか五月蝿い声が聞こえたけど。それは、聞こえた気がしたってことに、今だけはすることにする。





365題『もういないあなたへ』のコメントから。
タイトル、テキトーでごめんね(苦笑)
取り合えず、手塚を虐める不二が書きたかったの。それと、堂々とイチャつく不二リョが(笑)
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