「はい、到着」
キィ、と小さな音を立てて、自転車が止まる。
「っス」
別に頷く必要はないんだけど。何となく頷いてから、自転車を降りる。前かごに入れられたバッグを取る前に、先輩がそれを手渡してくれた。優しい、笑顔と共に。
「今日は、ありがとうございました」
「また、勉強で分からないことがあったらいつでもおいでよ。…あ。でも、ちゃんと来る前に連絡してね。今日は僕が家に居たから良かったけど。もしかしたら、居ないかもしれないからさ」
それって、アイツのところに行ってて居ないかもってことっスか?そう言葉に思想になるのを、胸に抱えたバッグを強く握ることで押さえると、俺は黙って頷いた。
先輩の手が伸びてきて、俺の頭を優しく撫でる。
不二先輩は、優しい。
けど。これは後輩だとか友達だとかに見せる優しさであって。アイツの前では、きっと、俺の知らない、誰も知らないような優しさを見せるんだ。
考えて。きゅ、と胸の奥が締め付けられる感じがした。深呼吸をして、それを和らげる。
勉強で分からないところ、なんて。ただの口実にしか過ぎない。別にこんなこと、卒業してしまった先輩に訊くようなことじゃない。けど。でも。そうしなきゃ、会えないから。
「越前くん?どうかした?」
両手でバッグを抱えたまま俯いている俺を不思議に思ったのか、先輩は俺の頭をまた撫でると訊いてきた。
その優しさが、嬉しいんだけど。悔しくて。
「不二先輩っ」
「ん?」
好きです。
言おうとして、口を閉ざした。やっぱり、言えない。
今更ここで俺が思いを告げても、先輩は俺を好きにならないってこと分かってるし。困らせてしまうってことも分かる。
それよりなにより、この関係を壊すことに、俺はやっぱり臆病になってる。
「何だい?」
「……おっ、やすみなさい」
「うん。おやすみ。明日、テスト頑張ってね」
「っス」
先輩と後輩って関係でも、卒業してもこうして先輩は俺のことを気にかけてくれてる。それだけで、充分だ。
充分なんだ、と自分に言い聞かせて。もう一度、先輩に頭を下げる。
いつもの優しい笑みを浮かべた先輩は、俺に手を振ってくれた。俺も手を振り返し、背を向ける。
暫く、歩いて。門をくぐったころ。背後で携帯電話の鳴る音がした。歩調を緩め、耳を澄ます。
「……ん。どうしたの?……うん。今?……いいけど。ちょっと、時間かかるよ?」
きっとアイツからだ。俺の知らない優しい声に、拳を強く握り締める。
「そ。大切な、可愛い後輩を送ったところ」
可愛い後輩。その言葉に、また胸が締め付けられる感じがした。けど。
「大切な…」
先輩の声を思い出しながら、呟く。
もう殆んど声は聞こえないから。今何を話してるのか、分からないけど。もしかしたら、俺が訊いてるのに気付いててそう言ったのかも知れないけど。
「大切な、可愛い後輩」
大切、という言葉の響きの嬉しさと。けれどきっと俺を好きになることはないだろうって淋しさを噛み締めながら。俺はもう一度先輩の声を思い出し、呟いた。
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