「……そんな所で何をしている?」
唐突に背後からかけられた声に、さして驚きもせず、男はゆっくりと振り向いた。どうやら彼がここへ来るだろうことは前々から解かっていたらしい。満足そうな笑みがその口元に浮かんでいる。
「何を、してるように見える?」
言いながら、男は自分の躰を揺らした。彼の顔に緊張が走る。握っている手に、じわりと冷たい汗が滲む。
「……さあな」
出来るだけ男を刺激しないように、いつもの調子で彼は答えた。ゆっくりと近づき、男の右手に左手を重ねる。
「手塚、手、冷たい…。」
困ったように微笑うと、男は言った。その笑顔に、手塚は少しだけ顔を紅くする。
「お前が、そんな所にいるからだ」
その手をぎゅっと握ると、手塚は眼をそらした。男――不二はクスクスと笑みを漏らすと握られた手はそのままに、手塚とは反対の方向へと足をつけた。
手塚は不二が地に足をつけたことに多少安心しながらも、その場所が、フェンスを挟んだ向こう側であることに焦りを感じた。放すまいと、更に強く手を握る。
「……痛いよ」
不二は向きを変え、手塚を見ると苦笑した。フェンスに左手を置く。手塚はそれに自分の右手を合わせた。フェンスを挟み、互いに手を握り合う。
「不二、こっちへ来い。来るなら…手を、放してやる」
「やだよ。」
落ち着いた声でいうと、不二は首を横に振った。
「なぜ…」
手塚の問いかけに、不二は、ただ微笑った。そのままで、暫く見詰め合う。
冷たい風が吹いた。フェンスが軋む。沈黙を破ったのは、不二の方。
「手塚、好きだよ」
一度だけ、その手を強く握り微笑った。
「…オレも、お前が好き、だ。」
手塚もその手を握り返す。どちらからともなく、二人は唇を重ねた。……フェンス越しに。
「……邪魔だね、これ」
唇を離すと、不二が呟いた。手塚が小さな溜息を吐く。
「だったら、こっちへ来ればいいだろう?」
「それは出来ないよ。僕は行かなきゃならないんだ」
優しく微笑むと、不二は手塚に背を向けた。不二の手は、いつの間にか自由になっていた。
「…行くな。」
フェンスを掴み、手塚が呟く。不二は振り返ると、その手を差し伸べた。
「じゃあ、君も一緒に来るかい?」
「………いい、のか?」
「君が、厭じゃなければ」
不二の言葉に少しだけ躊躇したが、意を決したように頷くと、手塚は手を伸ばした。差し出された不二の手を取る。フェンスはいつの間にか消え、手塚は不二と同じ所に立っていた。
見つめ合い、抱きしめると、唇を重ねた。
「どこへ、行くんだ?」
いつものように額を合わせながら、手塚が訊いた。不二が微笑む。
「何処へでも。」
言うと不二は躰を離した。かわりに、手塚の右手を捕る。
「きっと、幸せだよね、僕たち」
宙を見つめ、呟く。不思議と恐怖心はない。
「ああ。そうだな。お前と、一緒なら。」
今日初めて見せる手塚の笑みに、不二は満足そうに微笑うと、頷き、その手を強く握り締めた。
瞬間。二人の姿は消え、宙には2枚の羽根が――。
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