「おはよう、手塚」
言葉とともに後ろから抱きしめられる。
「……おはよう」
呟いて、その白い腕に、そっと触れる。
温かい、腕。オレはその温もりに抱かれるようにして、目を閉じた。
お前はきっと知らない。お前がオレに出逢うずっと前から、オレがお前を好きだったということを。
不二を初めて見たのは、小学校5年の夏。あれは、何の大会だったのか…。
オレは小学校のクラブでテニスをやっていた。だから、一般の大会に勝手に出ることは禁じられていた。当たり前だ。クラブでやっている奴と娯楽でやっている奴が一緒に試合をしたら、ほぼ確実にクラブの奴等が勝つだろう。それでは一般の奴等から不満の声があがる。万が一、負けたとしたら、それはクラブにとって不名誉なこと。どのみち、一般参加はできない。
だが、参加はできなくても、試合を見ることは出来る。
オレは都内で大会があるたびに母を連れて見に行っていた。ただ、その日は、母が仕事で、オレひとりで電車に乗って出かけた。そこは初めて行く会場で。大分道に迷ってしまった。着いたときには、決勝戦に入っていた。
そこで見たのは、奇妙な光景。
ひとりは小学生かと目を疑うような体つきの男。いかにもスポーツ万能という感じだ。もうひとりは…テニスという屋外スポーツにも関わらず、透き通るような白い肌をした、男。近くに居た人の話によると、オレと同い年らしかった。名前までは、解からなかったが。何故、こんな奴が決勝にいるのか、不思議だった。この大会のレベルが低いのかとも思った。が、そんな疑問は、試合が始まってすぐに消えうせた。
綺麗なフォーム。無駄のない動き。試合はあっという間だった。
試合をしてみたい。
今まで与えられた相手としか試合をしてこなかったオレが、初めて積極的に試合をしてみたいと思った。
ただ、気になったのは、表彰台でのヤツの表情。何故か、愁いを帯びていた。悲しみに満ちたような蒼い眼で、コートの隅にいる男を見ていた。
その眼をいつまで経っても忘れることが出来なかったオレは、都内で大会があるたびにアイツを探した。けれど、結局、見つけることは出来なくて…。
ヤツの眼を忘れられないまま、オレは中学へとあがった。そのテニス部で、出逢ったのが、不二周助。ドラマか何かの中にいるのではないかと思った。驚くような偶然。天才・不二周助がオレがあのとき出逢った男だった。そして、あのとき、不二が愁えた眼で見ていたのが、弟・不二裕太。
「君が、あの手塚くん?僕、不二周助。よろしく」
部活に入ったとき、どう話を切り出そうか迷っていたオレに、ヤツはそう言って手を出してきた。あのときと変わらない、白く、透き通った腕。触れれば今にも壊れてしまいそうな…。
「どうしたの?」
「あ。いや、なんでもない。こちらこそ、よろしく」
何となく照れてしまったオレはぎこちなく手を握った。その手は、思った以上に柔らかく、温かかった。
その瞬間、気づいたのは、紛れもない、事実。
試合をしてみたい。その想いでヤツをずっと捜していたと思っていた。けれど、それは間違いで。
オレは、多分、初めて見たときからずっと不二周助を好きだったんだ、と。
「手塚、どうしたの?」
耳元で囁かれ、オレは我に還った。振り返ると、不思議そうな顔をした不二。
「…昔の事を、思い出していた。」
「昔のこと?」
訊き返す不二に、オレは頷くと躰の向きを変えた。不二と見つめ合い、一度だけ口付けを交わす。
「お前とオレが初めて出逢ったときのこと、だ」
「……初めて…」
呟くと、不二は何かを思い出すように黙った。大方、オレと不二が初めて言葉を交わしたときのことでも思い出しているのだろう。オレはもっと前にお前に会っているんだといったら、驚くだろうか?
「お前は知らないかもしれないが…」
「…小学校5年のときの、夏の大会」
「………?」
「あの時、君、会場に来てたよね」
「…あの時って…まさか……」
驚くオレに不二はクスリと微笑ってみせた。
「君は知らないかもしれないけど、僕と君は逢ってるんだ。ずっと前にね。君は都内じゃ既に有名だったんだよ。そんな有名人が僕の試合を見ていた。君の姿を見つけたとき、夢かと思ったよ。一度対戦してみたい相手だったしね。あの時、君が大会に出ていなかったことが残念でならなかったな」
「………。」
「ま、そのあと、同じ中学になって自由に試合を出来ることになったけど」
「…お前が気付いていたとは、知らなかったな」
「あれだけの熱視線を感じれば、ね」
言って微笑うと、不二はオレを強く抱きしめた。
「ねぇ、君は知らないかもしれないけど、僕はあの時からずっと君が好きだったんだ」
耳元で囁き、躰を離すと、微笑った。
……信じられない。こんな偶然、在ってもいいのだろうか?
「不二。運命って、信じるか?」
「…何?急に?」
「オレはそんなもの信じていないが、今回だけは信じてもいいような気がする」
「……何のこと?」
「オレも、多分、あの時からお前のことが…」
「……嘘、でしょ?」
「嘘なんかついてどうする?」
目を丸くする不二に、溜息をつく。と、不二はもう一度オレを抱きしめた。
「あははは。凄いね。それ、絶対、運命だよ」
微笑い、口付けを交わす。
「きっとどこかでみんな繋がってるんだよ。だから、僕と手塚が出逢う前の人生も、きっと、どこかで今に繋がってるんだ。それって、凄いことだよね。僕、手塚を好きになってよかった」
満面の笑みを見せる不二に、オレは微笑うと、自分から唇を重ねた。額を合わせ、互いに微笑い合う。
「……オレも、お前を好きになってよかった…」