「好きだよ」
笑顔で囁く。
「オレはお前が嫌いだ」
オレはそれに嘘で答える。
「うん。知ってる」
お前はオレの何も知らない。
「それでもいいんだ。僕は手塚が好き。」
……嘘吐き。
「手塚は僕のことが嫌いなのに、どうしていつも僕の誘いに乗るの?」
情事の後、ベッドに横になったままで、不二は煙草に火を点けた。一筋の線となった煙が天井に当たり、ゆっくりと広がっていく。
「…オレの部屋で煙草を吸うなと言っただろう?」
オレは奴の手から煙草を取り上げると、ベッドサイドに置いてあった灰皿で揉み消した。
この灰皿は、奴の為の物。オレには縁のない物。
いつの間にか、オレの部屋は不二の物で埋め尽くされていた。本棚には奴の愛読書が何冊も入っているし、箪笥の一部は奴の服で満たされている。その他にも…。
オレはこの生活を悪いとは思っていない。寧ろ…。
けれど、不二はそれを知らない。
「ねぇ。何で?」
クスリと微笑うと、触れるだけの口付けをした。
「…苦い」
「煙草。吸っちゃったからね」
眉間に寄った皺を伸ばすようにオレに触れると、奴はまた微笑った。そのまま頬に手を添え、自分の方へと向けさせる。
「で。なんで?」
真剣な目で問われ、オレは狼狽えた。その蒼い眼に、オレの本心を見透かされているようで、痛い。
「…お、前が、いつも勝手に…」
手を払い除け、身体を起こす。
「それじゃあ、答えになってないよ」
背後から伸びてきた手が、オレを優しく抱きしめた。再び、身体を倒される。
「嫌なら、僕を部屋に入れなければいいじゃない。僕を部屋に入れるってことは、多少は覚悟してるんでしょ?」
クスリと微笑い、首筋に唇を落とす。
「…っめろ」
「手塚ってさ。口では嫌がってるけど、全然抵抗しないよね。なんで?僕が好きだから?それとも。ただ、淫乱なだけ?」
クスクスと微笑いながら、不二は自分の付けた痕をなぞるように舌を這わせていく。
「……っれは、お前が、嫌いだ」
晴れた天井に呟くと、オレ静かに眼を閉じた。
まるで馬鹿の一つ覚えのように繰り返している。本心とは反対の言葉。
『オレはお前が嫌いだ』
酷い嘘。けれど、これが不二との関係を繋ぐ鎖。
『どうしてだろう。届かないと凄く欲しくなるのに、手に入った途端に興味を無くしちゃうんだよね。』
自嘲気味に言った、不二の言葉が頭の中で木霊する。
捕まってはいけない。不二がオレを追いかけているのは、オレがまだ奴の手の届かない所にいるから。…いると、奴が信じ込んでいるから。
本当はもう、とっくに捕まっているのに。
嫌いだと言う度に、胸が痛む。それでも良いと不二が微笑う度に、好きだと叫びたくなる。
けれど、本当のことは言えない。言ったら、厭きられる。だから…
「何、考えてるの?」
突然の口付けに、オレは眼を開けた。蒼い眼と眼が合う。
「べ、つに。お前には関係ない」
「関係ないなんて酷いな。一応、僕は君のコイビトなんだから」
「……それはお前が勝手に決めたことだろう?」
「…………。」
哀しげに微笑うと、不二は覆い被さるようにしてオレを抱きしめた。胸が、痛む。
「いつになったら、君は僕を好きになってくれるのかな」
消えそうな声。
顔を見られなくて良かったと思った。きっと、今のオレは、酷い顔をしている。
「嘘でもいいから、好きって言ってよ。一度でいいから」
嘘ならばとっくに言っている。言えないのは、それが真実だから。
「そしたら、僕は君を諦めるから」
本心さえ言えずに。ただでさえこんなに苦しいのに。お前が離れていったら、オレは…。
これ以上、辛い思いはさせないでくれ。
「ねぇ。好きだって言ってよ。僕が嫌いなら」
耳元で囁かれ、火照りはじめていた身体は敏感に反応してしまう。意に、反しているわけではないのだが。
「……嫌、だ」
乱れた息で辛うじて答えると、慣れない手つきで奴の背に腕を回した。
「…手塚?」
「嫌だ」
呟き、きつく抱きしめる。
「言ってる事とやってる事が違うと思うんだけど……?」
不二はオレの腕を解くと、苦笑して見せた。眼をそらしたオレに小さく溜息を吐く。
「全く。君の考えてることはよく解かんないな」
だから気になるんだろうけどね、と自嘲気味に言うと身体を起こした。脱ぎっぱなしで皺の寄ってしまった服を着はじめる。
「……不二?」
「今日はもう帰るよ。そろそろ君の家族も帰ってくる時間だし」
ベッドサイドの煙草を取り、口にくわえる。その動作を見つめるオレの視線に気づくと、ごめん、と苦笑し火の点いていない煙草を灰皿へと投げた。
余熱の所為でまだベッドから出られないでいるオレを余所に、不二は服を着ると、やりかけの勉強道具を鞄へとしまった。オレを見ることなく、ドアまで歩く。
「また、来るよ」
ドアを半開きにさせた状態で言うと、不二はオレのほうを振り返った。
「君が良いなら、ね」
哀しげな笑みをオレに向ける。
「オレ、は…」
言いかけて、オレはなんて答えるべきか戸惑った。来てもいいなんて言ったら、それはオレが不二を好きだという事にはならないだろうか?それとも、淫乱だ、と嘲笑うだろうか?だが、だからと言って、断って本当に来なかったら…。
「まあ、いいや。その答えは後で貰うから」
なげやりではない、諦めに似た溜息を吐くと、不二はオレに背を向けた。それを見たとき、何故かそのまま不二が戻ってこないような気がして。
「不二、オレは――」
口を開いた時にはもう遅く、扉はオレの目の前で音も無く閉まった。静けさを取り戻した部屋に、不二の足音だけが響いてくる。
起き上がり、灰皿の中にある火の点けられなかった煙草を見つけると、手に取った。ベッドサイドに不二が忘れていったらしいライターも見つけた。それも手に取ると、オレは不二の動作を思い出し、真似てみた。火を付け、恐る恐る息を吸い込んでみる。
「ゲホッ。コホッ」
苦い。
オレは煙草を灰皿に押し付けると、ベッドに仰向けになった。温もりを求めるようにして、シーツに包まる。
「オレは、お前が、嫌いだ」
好きだから。こんな仕打ちをするお前が嫌いだ。
呟いて見上げた天井がぼやけている。きっと、煙草の煙の所為だ。オレの胸が苦しいのも、視界が滲んでいるのも…。