多分、一目惚れ。
テニスコートに立ちラケットを構える彼の姿に、惚れたんだと思う。
それからなんだか気になって、彼を意識して見るようになった。
そうすると、だんだん色んな事が解かってきた。
無表情だと言われている彼が、照れたときにする仕草や、微かな笑み、部員達を見つめる穏やかな眼と厳しい眼。
次第に、彼の感情を読めるようになってきたんだ。
そうやって、でも、大した出来事もなく、毎日は過ぎて行った。
けれど、その淡々とした日々の中でも、常に変化は起こっていた。
僕の、彼に対する気持ちは、とどまること無く大きくなっていった。
2年になって先輩たちが引退してから、彼はコート脇に佇んで後輩達の指導をすることが多くなった。
そんな彼の隣が、いつしか僕の居場所になっていた。
けど。
その事実は、僕しか知らない。
彼の眼には、きっと。僕は他の人たちと同じ『部員』としてしか映っていない。
だから。
それ以外では、彼の隣は僕の居場所じゃなかった。
勇気を出すことほど疲れるものは無い。円滑な人間関係。誰かに話し掛けるのに、こんなに緊張するのは、初めてだ。
「手塚くん。」
今まで大した会話が無かったから。僕は思わず彼を『くん付け』で呼んでしまった。
「不二、か。どうした?」
部長、という肩書きからか、彼は僕のことを普通に苗字で呼ぶ。
出来れば名前の方を呼んで欲しかったな、なんて思うけど。彼は英二のすら菊丸と呼ぶようなヒトだから。きっと、それは無理。
「……不二?」
黙ったまま、何も話そうとしないでいる僕に、彼は少し心配そうな顔をした。
「あっ。ううん。……ごめん」
僕は、反射的に謝ってしまった。何でもない、と胸の前で手を振りながら。
「?」
余計に、彼の顔が曇る。
落ち着け。僕は自分のココロに言い聞かせた。
彼に気づかれないように、小さく深呼吸をしてみる。
うん。大丈夫。きっと、大丈夫。
「あの、さ。……ここ…。」
そう言って僕が指差したのは、彼の隣。青いベンチの空白。
「君の隣…座っても、いいかな?」
「……あ、ああ。」
そんな事か、とでも言いたげな顔に、ちょっと胸がチクリとしたけど。
彼が慌てて自分の弁当を寄せて、僕の座れる場所を作ってくれたことが嬉かった。
二人並んで。黙って昼食を摂る。
何か会話をした方がいいのかとも思ったけど、彼の方はあまり気にしていないようなので、やめた。
だって。この沈黙、嫌いじゃない。
昼食が終わっても、まだ時間があったので、僕たちは黙ったままベンチに座っていた。
冬が近づいている所為か、少しだけ冷たい風。身を委ねるように目を瞑る。
「……お前とこうして昼食を摂ったのは初めてだな」
突然の彼の言葉に、僕は慌てて眼を開けた。彼を見る。
今までに見た事もないような穏やかな眼が、僕を見ていた。
「何か遭ったのか?」
実は君に伝えたいことがあるんだ。
頷きそうになり、僕は慌てて否定した。
その仕草に、彼が微笑う。
「解からない奴だ、お前は」
立ち上がり、伸びをすると、彼は僕との距離を詰めるようにしてベンチに座り直した。
間近で見る彼の横顔に。胸が高鳴る。
「……不二。実は、頼みがあるの、だが。」
言うと、彼は視線を前に向けたままで、隣に在った僕の右手に自分の左手を重ねてきた。
「これからも、オレの傍に居てくれないか?」
「………え?」
何を。言われたのか。よく解からなかった。
「ほら、部活の時、お前はよくオレの隣にいてくれるだろう?」
その言葉に。一瞬、僕の目の前が真っ暗になった。
気づかれて、いた?
けど。知っていたのなら、何故。彼は何も言わなかったのだろう。
「…あの、それは。ほら…」
「それはいいんだ。」
どうにかして言い訳をしようとする僕の言葉を遮るようにして、彼は続けた。
「変に、思うかもしれないが。その…居心地が、良かったんだ。お前の隣に居て。お前が、隣に居て。多分、好きなんだと思う。お前のことが」
「………。」
「あっ。でも。別に、如何こうしようとかして欲しいとか、そういうのではなくて。友達、というのでも構わない、から。だから、その…」
彼は僕の手を強く握った。
「ただ」
しっかりと、僕の眼を見つめる。
「オレの隣に居て欲しいんだ。出来れば、これからも、ずっと。」
「…………ぁ。」
なんて。答えたらいいのか解からずに。僕はただ、黙って彼を見つめた。
長いの沈黙の後、彼は諦めにも似た溜息を吐くと、僕から手を離し立ち上がった。
「……手塚、くん?」
やっとのことで、言葉を吐き出す。
けれど。
「すまない。今の発言は、忘れてくれ」
振り返らずに呟くと、そのまま彼は部室の方へ歩いていってしまった。
「………なん、だったんだろ。今の」
まだ頭の中を整理しきれていない僕は、とりあえず、深呼吸をしてみた。
ひんやりとした空気が身体中を満たしていく。何となくだけど、彼の言葉の意味も、その答えも見えてきた気がする。
不図、彼が座っていたほうに視線をやる。と。
そこには、彼の忘れ物。
思わず、笑みが零れた。
「……そんなに慌てなくても良かったのに」
僕は自分の荷物と彼の忘れ物を持つと、立ち上がり、彼の居る部室へと向かった。
深呼吸をして、部室の扉を開ける。
「手塚くん」
そこに居たのは、彼だけだった。
「…っ不二」
僕が来るのを予想していなかったのか、彼は少々大袈裟に驚いて見せた。
それが僕には彼らしく思えて、笑えた。
「何を笑っている?」
恥ずかしい、というような表情をしながらも、不満そうな口調で彼は言った。
多分、気づかれていないつもりなんだろうけど。
僕だって、だてに君を見てきたわけじゃないからね。隠しても、解かるよ。
「別に、何でもないよ」
笑いを堪える為に、僕は大きく深呼吸をした。
「手塚くん。忘れ物」
そういって、後ろに隠していた彼の弁当箱を差し出す。
「……あ。」
「忘れ物なんて、君らしくないね。どうしてそんなに慌てたの?」
「………悪い」
ありがとう、のつもりなのだろう。彼は呟くと、僕の手から弁当箱を受け取った。
その腕を、掴まえる。
「後ね、もう一つ。忘れ物があるんだよ」
笑顔で言うと、僕は彼の腕を引き寄せた。
つま先立ちになり、唇を重ねる。
「……ふ、じ?」
唇を離すと、困惑した彼の顔があった。
僕は微笑うと、彼の頬に手を触れた。
「これが、僕の返事だよ。」
そして、もう一度、口付けを交わした。