もう戻れない


 放課後。生徒会引継ぎの準備で遅くなったオレは空を見上げて絶望した。ずっと作業に夢中で気づかなかったけれど、外は雨が降っていた。なぜ今日に限って傘を持ってこなかったのだろう。濡れて帰ることも可能だけれど、冬の冷たい雨に打たれるのには抵抗がある。せめて、雪に変わってくれれば楽なのだが…。
 などと思っていても仕方がない。溜息をつくと、とりあえず昇降口へと向かった。

「……不二。」
 昇降口を出てすぐのところ、傘を差し白い空を眺めている人影に、オレは足が止まった。
「手塚。久しぶりだね」
 オレの呟きが聞こえたのか、不二は振り返ると優しく微笑った。
「ひさし…ぶり、だな」
 何故、こんな時間まで学校に?いや、それよりも。一番会いたくない奴に会ってしまった。降り続く雨を眺めながら、オレは溜息をついた。
 部活を引退してからというもの、不二と話をする機会は全くといっていいほどなくなっていた。他の奴らとは言葉を交わすのに。すれ違うときはいつも、奴は他の誰か…特定の誰かと一緒だった。それでも挨拶くらいはできたのだが。いつもタイミングを逃してしまって。
 自分の気持ちに気づき始めたのはその頃だ。不二の隣に自分以外の人間がいるのを見かけるたびに苛立ちを感じた。何もできないでいる自分のことを棚にあげて。最低だ。だから極力、奴を避けるようにしてきたのに。自分の醜い想いを封じるために。
 それなのに、今、2人きりだなんて。いや、幸いだったのかもしれない。もし、奴の隣に自分以外の誰かがいたら、オレはまた、自分の醜さと向かい合わなければならない。
「……手塚、キミは帰らないの?」
 限りなく近くで聞こえた声と視界に移った影に驚いて、オレは視線を落とした。あの頃と変わらない笑顔の不二がそこにはいた。
「あ、ああ。傘を、忘れたからな」
 近すぎる距離に、顔が赤くなる。オレは思わず顔を背けた。少し突き放すような感じになってしまったのではないかと危惧したが、奴は気にしていないようだった。ふぅん、と呟く声が聞こえた。
「じゃあ、さ」
 暫くの沈黙の後、不二はオレの左手をとった。
「一緒に帰ろっか」
「え?」
「僕の隣でよければ」
 戸惑うオレに、不二は笑顔で返した。
「それとも、手塚は僕と一緒に帰るのイヤ?」
 黙ったままでいると、不二は淋しそうに言った。そんなことはない、と慌てて否定する。不二は安心したように微笑った。
「じゃあ、一緒に帰ろ。」
「あ、ああ」
 戸惑いながらも頷くと、不二は嬉しそうにオレの手を引っ張って歩き出した。繋いだ手から伝わる温もりに、少しの嬉しさと多くの切なさを感じる。
「…だが、いいのか?」
 校庭を横切る。誰もいないテニスコートが視界に入った。
「何が?」
 オレが聞こうとしていることが分かっているのか、不二はうんざりした口調で言った。その態度に、オレはどうしようか迷ったが、言いかけたのだからしょうがないと自分に言い聞かせた。
「誰かを、待っていたんじゃないのか?」
「いいの。」
 即答。ただずっと前を見つめて歩いている不二に、その誰かが誰なのか痛いほどわかる。
 重苦しい空気が漂う。横目で見た不二の眼には何も映っていないようだった。きっと、考えごとでもしているのだろう。『誰か』の…。
 自分の中にどす黒いモノが湧き上がってくるのがわかって、オレは顔を歪めた。
「ねぇ、手塚。」
 突然、不二がオレの方を見た。慌てていつもの顔を作る。…いや、作る必要もない、か。母以外、オレの表情の変化は読み取れていないようだし。
「な、んだ?」
「何、慌ててんの?」
 表情は誤魔化せても、声は誤魔化せなかったらしい。不二は、変なの、と呟き微笑った。その笑顔に、何となく、安心する。
「で。なんだ?」
「ん?ああ。あの、さ。手塚の肩、濡れてるんだよね」
 言われて、オレは自分の右肩を見た。確かに、濡れている。
「それに、傘、どきどき頭に当たってない?」
「あ、ああ。そういえば…」
 あまり気にはしていなかったが、確かに、時々傘の骨がオレの頭に当たっていた。まあ、身長差があるから仕方が無い。
「ごめんね、気をつけてるつもりなんだけどさ。なんか、手が疲れてきちゃって。だから、その…」
「構わん。オレが持つ」
 言うと、オレは罰の悪そうな顔をする不二に左手を差し出した。
「ごめんね」
「オレは居候の身だからな」
「何それ」
 オレが傘を受け取ると、不二は微笑った。つられて、オレも頬を緩ませる。まぁ、不二には気づかれてないだろうけど。
 と、オレの左腕に絡みつく、温もり。
「不二っ!?」
「こうしてれば、濡れなでしょ?」
 慌てて振り払おうとした腕を、不二は両手で抱きしめてきた。
「そう、だな」
 諦めの溜息とともに、オレは頷いた。腕に込めた力を緩める。
「手塚の手、冷たいね」
「っ!?」
 不二の左手がオレの左手包んだ。そのことに。腕が緊張し、顔が熱くなる。オレは思わず不二から顔を背けた。
「……越前くんはね、手とか繋いでくれないんだ」
 聞き逃してしまいそうな弱々しい声。見ると、不二は光のない眼をして前を見つめていた。
「それどころか、こうして並んで歩くことも嫌がるんだよ。恋人同士なのに。おかしいよね。それに、今日だって…。ねぇ、手塚。越前くんは僕のこと嫌いなのかな?どうしたらいい?」
 言うと、不二はオレを見つめた。今までに見たこともないような、苦渋の顔で。少しでもそれを笑顔に近づけてやりたいとは思うけれど、今のオレには、何も出来ない。
「…なんて、手塚に言ってもしょうがないよね」
 黙っているオレを見て、不二は無理矢理に笑顔を作って言った。
「そんなことっ…」
「?」
「い、いや。何でも、ない」
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。言えない。言えるはずがない。
 『あんな奴なんかやめて、オレと付き合え』なんて。言えたら、楽になれるのだろうか?
「……手塚なら解かると思ったんだけどな。彼の気持ち」
 オレの腕に頭をつけると、不二が呟いた。
「何故だ?」
「ん。何となく。似てるかなって。雰囲気って言うか、テニスが一番なところって言うか…。よくは解かんないんだけど、似てるんだよ。キミと。」
「……そんなに似ているか?」
「似てるよ。何となく、だけどね」
「…………。」
「あ。機嫌、悪くした?」
「いや」
 似ているのなら、何故オレではなく奴を選んだ?けれど、それはもう過ぎてしまったことで。だが、似ているのなら、オレは奴の代わりになれはしないだろうか?
 …代わりで、いいのか?
 仕方がない。それでも、少しでもこの関係から先に進めるのならば。
「不二、オレでは―――」
「あ。」
 オレの言葉を遮るようにして言うと、不二は斜め上を指差した。オレも視線を移す。
「雪」
 不二の指差す先には、白い雪が舞っていた。気づかなかったが、雨はいつの間にか雪に変わっていたようだった。
「初雪、だね」
「……そうだな。」
 雪の所為か、少しだけ明るくなった空。オレは小さな感動を覚えた。今年初めての白い街を不二と二人きりで見ることが出来るなんて。
 そんなオレの想いを知らない不二は、オレから手を離すと公園の中へと走って行った。
「手塚もおいでよ!」
 先程までの不安げな顔とは反対の、無邪気な笑みでオレを手招く。
 解からない奴だ。
 安堵にも近い溜息をつくと、オレは不二の後を追って公園へと入った。
「早く傘に入れ。風邪引くぞ」
 両手を広げ、空を仰ぎ、全身で雪を感じている不二に、オレは言った。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない。いいから入れ」
 オレは不二に近づき腕を掴むと、傘の中に入れた。余り強く引いたつもりはなかったが、不二はオレの胸に飛び込むような態勢になっていた。
 見下ろすオレと見上げる不二の距離が、今までにないほど近い。心臓の音が不二にまで聞こえているような気がして、オレは不二の体を離そうとした。肩を掴む。
「ありがとう、手塚。優しいね」
 今にも壊れてしまいそうなくらいの綺麗な笑みを見せると、不二はオレの腕を取り、隣に並んだ。
 公園の中を歩く。こっちの方が近道になってしまうので、出来るだけ避けたかったが、仕方がない。オレは景色を見るフリをして出来るだけゆっくり歩いた。気づかれるかとも思ったけれど、不二は舞い落ちてくる雪に眼を奪われているようだった。寧ろ、オレよりも歩みが遅くなっている。
「……キミを、好きになればよかったのかもね」
 突然の呟きに驚いて不二を見つめると、悪戯っぽく微笑った。
「なんて。キミにとってはいい迷惑だよね」
「迷惑だなんて…」
 寧ろ、オレは。
「ん?」
「いや、何でもない」
「うん」
「…………。」
「…手塚」
「なんだ?」
「今日は、ありがと」
 不二は微笑うと、オレの腕に寄り掛かった。オレは、ああ、とだけ答えると、歩みの速さを少しだけ緩めた。



 雪を見るたびに思い出す、あの時の光景。言えなかった想い。伝えられなかった言葉。
 『もしも』なんてくだらない考えだけれど。今でも時々考える。もしもあの時、あの言葉を伝えることが出来たなら――。
 けれど。時間は戻らない。もう、あの時には戻れない。この雪道をオレは独りであるかなければならない。あの時、飲み込んでしまった言葉の答えを知ることは出来ない。
 もう、戻れない。





♪ほうかご〜にぐうぜん〜そらをなが〜める〜あなたにで〜ああったねぇ〜♪
誰も知らないだろうが。rumania montevieoの『もう戻れない』
これを見たとき、即、不二リョ前提の不二←塚だと思いました。
季節感がなくてゴメンナサイ。。。

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