「許さないよ」
気がつくと、目の前に不二の顔があった。凍てつくような蒼い眼が、オレを震え上がらせる。
「っなんだ、いきなり」
さっきまで、普通に話をしていたはずなのに。
不二はオレの膝に向かい合うようにして座り、その手はオレの肩を痛いくらいにしっかりと掴んでいる。
逃げられない。頭の片隅で、そう思った。別に、逃げる必要などないのだが。
「……越前。」
突然降ってきた言葉に、オレは意識を目の前に戻した。
「越前。何で、君の口から真っ先に出てくるのがその名前なの?何で、僕の名前じゃないの?」
「何の、ことだ?」
「今日の試合、見事だったよ」
不二は俯くと、肩を掴む手を緩めた。一瞬、眼の色に淋しさを見た気がした。
今日の試合。越前との、1セットマッチ。久しぶりの右での試合だった。結果はオレが勝ったが、そんなことは大した問題ではなかった試合。
「アイツは、越前はオレを超えてくれるだろうか?」
思わず、音になって現れた本心。その科白が場違いだった事に気づき、オレは慌てて不二を見た。
「……やっぱり」
呟いてオレを見つめた不二の眼は、淋しさと不安とが入り混じっていた。
「ねぇ、手塚。君はあの時、僕の存在を忘れてたでしょう?君には越前しか見えてなかったんじゃない?」
「不二、これはだ……っ」
言い訳をしようとした唇を塞がれる。
抵抗は、出来ない。自分の身体が後ろに倒れないように両手で支えるので精一杯で。多分、倒れてしまったら、オレの理性も危うい。
不二の手が、肌に触れた。そのまま、身体の線をなぞるようにして、オレのシャツをたくし上げる。
……どちらにしても、時間の問題、か。
不二の首に腕を回すと、オレはゆっくりと身体を倒した。
「……手塚?」
オレの行動に、不二が少し驚いた表情をした。
「今日で…最後、だからな。」
オレの言葉に、今度は顔を歪めた。
「『最後』なんて言わないでよ。僕はちゃんと待ってるから。君が帰ってくるのを、待ってるから」
今にも消え入りそうな声で呟くと、不二は唇を重ねてきた。オレもそれに答える。
「……だが、終わりにしなければ」
長い口付けのあと、息を整えながらオレは言った。
「…何で?」
わからない、とでも言うように不二が首を振る。
オレは不二の背に腕を回すと、引き寄せ、強く抱きしめた。
「終わりにしなければ。」
耳元で囁く。
「一日会えないだけでも辛いのに。長期なんて、耐えられるわけがない。きっと、いつか壊れて…」
「でもっ」
オレの言葉を遮るようにして言うと、不二は少しだけ身体を離した。しっかりと、オレの眼を見つめる。
「駄目だよ。僕には出来ない。例え今日で終わりになったとしても、僕は君の事、きっと毎日想い出してしてしまうよ。壊れてもいい。辛くても。その痛みは、僕が君を好きな証拠だから」
「……不二。」
「僕はね、手塚。君を好きになってから、一秒だって君を忘れた事はないんだ。なのに、君はっ」
一瞬にして、不二の眼の色が変わる。『許さない』と言ったときのそれに。
「君はいつも、越前の事ばかりだ。僕の気持ちを無視して」
「……違う。」
「違わない」
「違う。あれはテニスだけの話だ。オレは、公私混同は、しない」
はっきりと、ゆっくりとした口調で言う。
不二は何をか考えるように、暫く黙ってオレを見つめていた。
「………嘘吐き。」
ポツリと、呟くように不二が言った。眼には、冷たさではなく、淋しさと不安が浮かんでいた。
「嘘ではない。本当だ」
「でも。その間、僕を忘れていた事にかわりないよ」
不二の言葉に、オレは何も言えなくなった。
確かに、そうかもしれない。不二の言う通りかもしれない。
一日の殆んどを部活が締めている今、オレは多分、不二よりも越前の事を考えている時間の方が長い。
無論、そこには部員以上の特別な想いはないにしろ、だ。不二を忘れていた事にはかわりは無い。
そんなオレが、会えないのが辛いから終わりにしよう、だなんて。哂ってしまうな。
オレは深呼吸をすると、不二を見つめなおした。
「ならば、オレはどうしたらいい?どうすれば、お前は許してくれる?」
「忘れないで。」
即答。その言葉と一緒に、真剣な眼が返ってくる。
「僕の事、忘れないで。何処に行っても、辛くても、僕の事を忘れないで。待ってるから。君が帰ってくるの、僕は待ってるから」
「……不二。」
不意に、初めて好きだと言われた時の記憶が蘇った。蒼い眼に、あの時と変わらぬ、いや、それ以上の想いの強さを感じて。
不二は今まで、どんな気持ちで部活に出ていたのだろう。
急に、越前を、部活の将来ばかりを考えていた自分が、情けなく思えた。
「だから、『最後』だなんて言わないで」
苦しそうに言う不二に。
「ああ、そうだな」
オレは微笑って答えると、触れるだけの口付けをした。
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