「……っ」
ざわめきに我に返ったオレは、その手を解くと、不二と少しだけ距離をとった。
「…手塚?」
何もなかったかのように微笑う。その口元には、僅かではあるが、確な緋い色。
「い、今、何を…」
「何をって?そんなことより、保健室、行こう。化膿しちゃうといけないから」
周りの視線と、動揺しているオレを余所に、淡々と話を続ける。よく解からないうちに気がつくと、オレは不二に手を掴まれ、保健室へと向かっていた。
「……っ」
「ごめん。沁みた?」
痛みに声を漏らすオレの顔を、心配そうに覗き込んでくる。オレは眼を逸らすと、大丈夫だ、と答えた。強がらなくてもいいのに、と不二が呟く。
「保健医が居ないのを知っていたなら、別に部室でも良かったんじゃないのか?あそこには救急箱もある」
「駄目だよ。あんな…何年も封を開けられたままの消毒液なんて。薬にも使用期限って言うのがあるんだからね」
言いながらオレの手に包帯を巻いていく。少し大袈裟だと思ったが、あまりもの手際のよさに見惚れてしまい、気づいたら全て巻き終わってしまっていた。
「これで大丈夫っと」
オレの手を軽く叩く。
「……悪いな」
呟くオレに、いいえ、と微笑うと、不二は背を向けて後片付けを始めた。
沈黙。
窓に目をやると、楽しそうに部活をする奴らが見えた。溜息を、吐く。
「……手塚。もしかして怒ってるの?」
探るような声色。窓から視線を戻すと、片づけを終えた不二が探るような眼でオレを見ていた。
「何のことだ?」
「……手。舐めたから」
「………。」
不二の手際のよさに忘れかけていたが、ネットのワイヤーで切ったオレの傷口を見て、こいつはそこに舌を這わせたのだった。あの時の、周囲の視線が脳裏に蘇ってくる。別に、怒りという感情は浮かんでは来ないが。気持ちの良いものではない。
「……いつも、あんなことをしているのか?」
努めて平静に。不二の眼を見つめた。暫くの沈黙の後、小さく首を横に振ると不二は俯いた。
「じゃあ、何故あんなことを?」
「………わかんないよ」
「え?」
「わかんない。ただ…」
言葉を切ると、不二は包帯の巻かれたオレの手に触れた。顔を上げ、オレを真っ直ぐ見つめる。
「綺麗だって思った。キミの指を伝う鮮血が。でも、それと同時に、キミが穢れてしまうとも思った。そう思ったら、勝手に」
蒼い眼に、一瞬だけ妖しい光が宿る。と思った途端、オレの視界は暗闇に包まれた。次に光を取り戻した時には、不二は歪んだ笑みを浮かべていた。
「でね。僕なりに見つけた答えが、これ」
言うと、不二は自分とオレの唇を交互に指差した。瞬間、蘇ってくる、唇の微かな温もり。オレは思わず、自分の唇に手を当てた。まるで、感触を確かめるかのように。
「……どういう、ことだ?」
「まだわからない?」
「………。」
「好きみたい。手塚のことが」
滅多に見せない真面目な表情で、言う。その眼に。オレは何故か顔が赤くなり、俯いた。暫くして聞こえてきたのは、深い溜息。
「ま、いいか。僕自身、まだ自分の気持ちを把握できてないからさ。一応、無意識だったとは言え、今回のことは謝っておくよ。……ごめん」
視界の端に映っている足が、動く。オレは顔を上げると、背を向けようとする不二の手を掴んだ。その手を引き、強引に椅子に座らせる。
「別に。怒っては、いない、ぞ」
「……て、づか?」
「ただ、気持ちの良いものではない。それに、あんな人前で…」
「じ、じゃあ、さ」
掴んだままだったオレの手を、逆に不二は掴んできた。自分の方へと引き寄せる。
「人前じゃなかったら、良いってこと?キミももしかしたら僕のことを好きかもしれないってこと?」
弾んだ声で、言う。勢いに押されたオレは、すぐに言葉が出てこず。とりあえず、そういうわけでは…、とだけ言った。
不二が、オレから顔を背ける。落ち着け、と呟く声が聞こえてきた。オレから手を離し、かわりに肩を掴む。
「……じゃあ、もう一回、キスしてもいい?」
不二の蒼い眼が、再びオレを捉える。妖しいと思った光は、オレの見間違いであるということに、今更気づく。そう見させていただけだ。オレの心が…。
オレは小さく深呼吸をすると、ああ、とだけ答えた。