もう1つの物語。
「ウォンバイ立海、切原」
 深としたコートに、審判のコールが響く。僕はそれを、他人事のように聞いていた。
「勝った、のか?」
 誰に尋ねているのか理解らない、彼の言葉。僕は頷く代わりに、宙を仰いだ。眼を瞑り、風を感じる。
「勝ったんだ」
 信じられない、と言うような声で彼が呟く。それを切欠に、会場はざわめきを取り戻した。取り戻したのだと、思う。けれど、僕の周りは妙に静かで。僕は溜息を吐くと、落ちていたラケットを拾った。まだ見えない眼。ふらつく足で、彼の元へ歩く。
「切原くん」
「……不二サン」
 コート越しの呼びかけ。再び、会場は静かになった。気配だけを頼りに彼を見る。彼は、一瞬怯んだようだった。試合中とは違う彼の様子に、僕は微笑った。
「良い試合だったよ。完敗だ」
「偶然ですよ。アンタの眼が見えてたら、オレはきっと負けてた。……スミマセンでした。なんか、オレ――」
「いいんだ。君のお蔭で、大切な事に気づいたから。ありがとう」
 ラケットを左に持ち替え右手を拭うと、コート越しに手を差し伸べた。
「……オレの方こそ。アンタのお蔭で限界を超えることができました。ありがとうございました」
 彼が、僕の手に触れる。けれど、僕はそれを握り返す事が出来なかった。
「不二サンっ!?」
「誰か、担架を!不二が倒れたぞ」
「不二っ…」
 真っ暗な視界の中、遠くで僕の名を呼ぶ懐かしい声が聴こえた気が、した。


 ごめん、手塚。
 僕は結局、君の重荷になっちゃったみたいだ。
 折角、大切な事に気づいたのに。

「竜崎先生、不二は?」
「ここまでの疲労は初めてなのだろう。今、静かに眠っておる。傍にいてやってくれんか」
「勿論です。それで、不二の眼は?」
「まだ詳しい検査はしておらんからなんとも言えんが、もしかしたら――」


 夢を、見ていた。
 真っ暗な部屋の中で、僕は病院のベッドに寝ていた。
 眼を開けると、酷く情けない顔で彼が僕を見つめていた。
「……手塚?」
「不二。気がついたのか?」
 頷く代わりに伸ばした僕の手をとると、彼はしっかりと握り締めた。温かいとはいえないその温もりに、僕は微笑った。
「何だ?」
「夢でも、君の手は冷たいんだね」
 彼の手を引き寄せ、そこに口付ける。
「せめて、夢の中でくらい。君からの温もりが欲しかったな」
 苦笑し、体を起こす。その手を頬に当てると、夢とは思えないくらいリアルに、彼の体温を感じた。ひんやりとした手の温もり。懐かしい感触。
「不二。オレは――」
「ごめん」
 言いたいことは理解ってるから。僕は彼の言葉を遮るように言った。その眼を見ていられなくて、顔を伏せる。
「負けちゃった。君みたいになれると思ってたのに」
 僕の言葉に溜息を吐くと、彼は僕の手を包んでいた左手を離した。消えた温もりの代わりにやってくる、頭への優しい重み。
「オレはオレ、お前はお前だ」
 髪を梳くようにして撫でると、彼は夢なんじゃないかと思うくらい綺麗な笑みを僕に見せた。違う、か。これは夢だ。
「でも、君に置いて行かれるのは嫌なんだ。確かに、僕は君みたいにはなれないかもしれない。けど、君に近づくことは不可能じゃないと思ったんだ」
 誰かや何かの為に戦う事は出来なくても。
「手塚国光の為になら、戦えると思ったから」
 頭にある彼の手を握り、指を絡める。僕が微笑うと、彼は逆に顔をしかめてしまった。
「……手塚?」
「オレの為だと思うなら、もうこんな無茶はするな。それに、オレはお前を置いては行かないっ」
 顔を、しかめていたわけではなかった。彼は潤んだ眼で僕を見つめると、手を伸ばしそのまま抱きしめてきた。触れ合う頬に、彼の涙を感じる。
「不二を置いては、オレはどこへも行けない。だからもう、こんな無茶はするな。オレの為を想うなら…」
 彼の温もりを全身に感じながら、いつもとは立場が逆だな、と思った。無茶をするなと言うのは、僕の役目なのに。こうやって抱きしめるのは、僕の役目なのに。
 滅多にない、彼からの温もりに。折れてしまいそうになる。けど、これだけは僕は譲れない。
「折角見つけた居場所なんだ。自分から手放すような事はしないから。だから、守る事も許して欲しい」
 震える彼の肩を掴むと、引き離し、微笑って見せた。いいでしょ、と呟く僕に、彼は、しかたないな、と溜息を吐いた。潤んだ眼で、微笑う。
「……なんか、疲れちゃった」
「あまり無理をするな」
 呟く僕に、彼は少し困ったように言った。頷き、体を横たえる。
「ずっと、居てくれる?」
 彼の手を握り、問いかける。彼は何も言わずに手を解くと、着ていたレギュラージャージを僕にかけた。もう一度、指を絡める。
「ああ。だから、今は寝ていろ」
「……うん」
 頷く僕にキスをすると、彼は安心したように微笑った。
 そして、僕の視界は、ブラックアウトした。


「………手塚。もう行く気?」
「ああ」
「何で?不二が目ぇ覚ますまで待っててやれば?不二、手塚に会えるの、すっごく楽しみにしてたのに」
「いいんだ。オレは明日の朝には九州に戻らなければならない。だから、いいんだ」
「……そっか。そうかもね。せっかく会えたのに見えないんじゃ、哀しすぎるもんにゃ」
「……そうだな」
「治るといいね、不二の眼」
「治るさ、きっと。オレたちは皆で全国制覇するのだからな」
「うん」


 眼を覚ましても、視界は暗かった。
「……手塚?」
 呼びかけてみても、返事はない。
「やっぱり、夢、だったんだ。そりゃそうだよね。何たって、手塚は今、九州に居るんだし」
 あまりにもリアルな夢に苦笑する。それ程までに、僕は彼を想っているんだと、実感して。
 溜息を吐き、体を起こす。相変わらず、暗い視界。手を当てると、どうやら包帯をしているようだった。
「不二?起きたの?」
 ドアの開く音と共に、声が飛び込んできた。そっちに、顔を向ける。
「……英二?」
「うん。待ってて。今みんなを呼んでくるから!」
 あっという間に小さくなっていく靴音。英二の慌てぶりが想像できて、僕は少し微笑った。
 不図、手に触れる布団とは違う感触。
「……何?」
 手繰り寄せ、抱きしめる。僕の手の中に在るのは、恐らく、青学のレギュラージャージ。慣れた手つきでそれを広げると、僕はジャージに袖を通した。けれど、それは僕の身体にはフィットしなくて。
「……もしかして。これって」
 手塚の?
『不二。気がついたか?』
 夢だったはずの、手塚の声が蘇ってくる。そして、その温もりも。
 夢じゃ、なかったんだ。彼は、ここにいた。
「手塚…」
 呟くと、ジャージに残された微かな温もりを留めるように、僕は自分の体を強く抱きしめた。




※WJで不二vs切原の決着がつく前に書きました。
不二が勝ってくれることを祈って。あえてこのタイトルで。
不二が負けてもこういう展開なら許すけどね(笑)
でも、やっぱ勝って欲しいなぁ。


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