サイン
 大会を勝ち進んでいるオレ達にとって、夏休みは在って無いようなものだ。だが別に、そのことに関しての不満は無い。オレはテニスが好きだし、それに…。
「手塚っ、てーづーかっ」
「あ、ああ。何だ?」
 突然視界に入ってきた影。オレは少し上体を逸らせた。
「珍しいね。君が呆けてるなんてさ。何か考え事?」
「まあ、な」
 お前のことを考えていたんだ、などと言えるはずが無いから。オレは適当に相槌をうち、顔を背けた。
「手塚。何そっぽ向いてんの?」
 眼鏡を直そうとしたその手を、強く掴まれ、引き寄せられる。
「不二っ、何を…?」
「何をって。コート、空いたから。乱打しようよ」
「あ、ああ。そうだな」
 何を考えているんだ、オレは。
 近すぎる距離に赤くなった顔を隠すように、オレは空いている手で眼鏡を直した。
 深呼吸をして視線を戻す。と、不二がオレをじっと見つめていた。
「な、何だ?」
「手塚ってさ……」
「?」
「んーん。何でもない」
 クスリと微笑いながら首を横に振ると、不二はオレから手を離して向かいのコートへと向かった。
「ね。乱打じゃなくてさ。本気でやろっか」
 構えるオレに、不二は少し張った声で言った。途端、周りにいた奴らの視線がオレ達に向けられる。
 試合中なら注目されることはなんとも思わないが、そうでもない時に視線を浴びるのは得意じゃない。オレは眼鏡を直すと、ネットへと近づいた。気づいた不二も側へと寄ってくる。
「どうしたんだ?急に」
「別に。どうせ君と打ち合うなら、本気でやりたいなって思って」
「……だから、それが急だと言っているんだ。今までだって何度も打ち合っただろう?」
 眉間に皺を寄せながら、不二を見る。と、途端に不二の顔が真剣なそれに変わった。
「そろそろ…」
「?」
「そろそろ本腰を入れないと、この先勝ち残れないよ。今年で引退なんだ。僕には後が無い。こんなところで梃子摺ってちゃいけないんだ」
 切羽詰ったような眼。試合でもそんな表情をしたことが無いのに。
「……意外だな」
「何が?」
「お前がこの大会をそんな風に考えていただなんて。てっきりオレは、お前は自分の試合が大切なのであって、部が勝ち進むかどうかなどどうでも良いのだと…」
 オレの言葉に、不二は一瞬きょとんとした顔をし、そして笑い出した。
「な、何を笑っている」
「別に。君が勘違いをしてるから」
「勘違い?」
「そ。勘違い。これはあまり大きな声じゃいえないけど――」
 言いかけると、不二はオレを手招きした。別に普通に話せばいいだろう、とも思ったが、辺りを見回すと、視線は相変わらずオレ達に集まっていて。オレは仕方が無く不二の方へと耳を寄せた。近すぎる距離を、あまり意識しないようにして。
「君の言う通り、僕は部の勝ち負けなんてどうでもいいんだよ。それよりも大事なのは、君と一緒に居れる時間」
「なっ…」
 不二の口から出てきた言葉に驚き、オレはその顔を見つめた。不二が優しく微笑う。
「だって、ここで負けちゃったら、もう部活終わりなんだよ?だとしたら、なんとしてでも勝ち進まないとさ。君に会えない夏休みなんて退屈だし、淋しすぎるから」
 オレの反応を窺うように、見つめる。
「ふざけたことを言うな」
 呟くと、オレは不二から顔をそらすように眼鏡を直した。隣からクスクスと小さな笑い声が聞こえる。
「何が可笑しい」
「さっきも思ったんだけどさ」
 不二の手が伸び、眼鏡に触れているオレの手を掴んだ。強引にオレの手を下へとずらし、顔を覗き込んでくる。
「手塚って、照れると眼鏡を直す癖、有るよね」
「………っ」
「ほら、また」
 呟いて不二がオレの左手を見る。つられるように視線を移すと、ラケットを持ったままの左手は中途半端に上げられたまま止まっていた。
「やっぱり、自分では気づいてなかったんだね」
 愉しそうに微笑うと、不二はオレから手を離した。指摘はされたものの、どうしてもオレの右手は不二からの視線を遮るように眼鏡を直してしまう。
「その癖、直さないでよ。君の気持ちを知る、唯一のサインなんだから」
 眼鏡から手を離せないで居るオレに愉しそうに微笑うと、不二はコート中央に立った。




半年くらい前に書いたヤツを修正&加筆。
元々は100のお題の『夏休み』だった。(結局周裕になったんだけどι)
そんなわけで。手塚が夏休みまでに九州から帰ってきたらいいな、と。


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