呪文 -side F-
「スキダヨ」
 時々。思い出したように、いや、思い出させるように僕は言う。勿論、それは彼に対してじゃなく、僕に対して。そうして僕は彼にキスをする。
 そこまでしてようやく思い出す。僕は彼を好きだということを。そのひんやりとした温もりを。そして、安堵する。
 だから。唇を離した僕は、彼に微笑う。最初はぎこちなかった彼も、今は僕に微笑い返してくれる。ただ、その後の視線をどうしたらいいのかについては、未だに困っているようだけれど。
 そんな彼を、愛おしく思う。きっと。そう思っている。例えそれが持続しないものだとしても。この瞬間だけは、間違いない感情。
 大丈夫。僕は誰かを愛せている。
「不二?」
 彼を見つめたまま黙る僕に、彼は少しだけ訝った声を出した。こうして呆然とするのもいつものことなのにと思いながら、誤魔化すために彼を押し倒す。いや、もしかしたらこれは、彼の作戦なのかもしれないな。なんて。都合のいい解釈。そんなはず、ないのに。
 いつだったか。彼が自分にはテニスしかないと言った。だから僕は、僕には何もないと言おうとした。そうしたら、オレがいるだろうといったようなことを言われた。
 僕には、手塚が居る。
 僕には、手塚しか居ない。
 良くも悪くも取れてしまうのは、彼を愛することに自信がないからだろう。
「ねぇ、手塚?」
 白い肌に舌を這わせじわりと滲んだ汗を味わいながら、問いかける。
「な、んだ?」
 早くも息が上がっている彼は、僕の頭を掴んで無理矢理視線を合わせさせた。
 いつもそうだ。彼はその後の視線の行方に困るくせに、言葉を交わすときは出来得る限り目を合わせてくる。僕以外と話すときは、他所を向いていることのほうが多いのに。
 それは、それだけ僕を好きだということなのか。それとも、別の目的、例えば僕の言葉の真実を見極めるためになのか。僕には分からない。
 だけど。僕はそんな彼の行動にとても好感を抱いている。例えそれが場の雰囲気を台無しにするものだとしても。
 彼の目、好きだし。
「不二」
 見つめたまま何も言わない僕に焦れたのかそれとも体が疼くのか。どちらを望んでいるのかは分からないけど、兎に角彼は先を促した。
 胸に触れていた手で彼の髪を梳き、露になった額に唇を乗せる。
「自分にはテニスしかない。確か、君はそう言ったね?」
「……ああ」
「じゃあ、僕は何処にいるの?」
 僕には逃げ場がない。彼が消えれば僕には本当に何も無くなってしまう。
 でも彼にはテニスと僕が在る。どちらかが消えても、それは恐らく僕だろうけど、片方は、テニスは残る。
「お前は、ここにいる。オレの傍に。ずっと」
「…………」
「だから、在るとか無いとか」
「僕には自分がいるって言ったくせに?」
 彼の言葉を遮り、言う。そのことに彼は不満そうな顔をしたけれど、それ以上何かを言おうとはしなかった。
 だけど僕も、その先の言葉を持っていなかったから。
「スキダヨ」
 また、その言葉を繰り返す。
 大丈夫。彼が僕をどう想っていようとも、僕はちゃんと彼を愛することが出来る。
「好きだよ、手塚」
「……ああ。オレもだ」
 やっと温もりのもてた言葉に、彼が頷く。
 そうして僕たちは音の無い行為を再開させた。




全く通じていなくてもそこに繋がった結果としてのものは存在し得るのです。
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