目の端に映った人影。俺は車を止めた。
「……どうしたの?」
俺の視線を遮るようにして助手席の女が顔を出してくる。
「うるせぇ。少し黙ってろ」
女の顔を乱暴に手で退かすと、俺は目を凝らした。早足で歩く男と、それを慌てて追いかける男。
間違いない。不二、だ。そして、不二が追いかけているのは、手塚。
「ちょっ、ケーゴ?」
車を走らせ、不二と手塚を追いかける。少し追い抜いたところで、俺は車を止めた。
「降りろ」
女に、命令する。
「え?何?」
「いいから、さっさと降りやがれ」
女を追い出だし、俺も外に出る。手塚が横を通り過ぎたところで、俺は声をかけた。
「不二じゃねぇか」
「……跡部。偶然、だね」
驚きの表情で不二が足を止める。俺の背後で、もう一つの足音も止まった。
「跡部…?」
後ろから、低い声。俺は構わず不二に近づいた。
「今、暇か?」
「いや…ちょっと…」
ばつの悪そうな顔をして、俺の背後にいる奴を見た。俺も、視線を映す。
「手塚、か。何だ、お前ら一緒だったのか?俺にはそうは見えなかったけどな」
口元に笑みを浮かべ、手塚を見た。俺の後ろに居る不二には、その表情は見えちゃいねぇ筈だ。
「……そうだな。別に、オレは不二と一緒に居たわけではない。偶々この場に居合わせただけだ」
「手塚?何言って…」
「帰る」
手塚は呟くと、踵を返した。逃げるかのように、歩調を速めて歩く。
「ちょっ……手塚っ」
「不二。」
慌ててその後を追いかけようとするその腕を強く掴み、引き寄せる。
「跡部……?」
「今日は俺様の誕生日だ。あんな奴放っといて、今夜は俺に付き合え」
「で、でも…」
「今追いかけても、同じ事を繰り返すだけだろ?少し、互いに頭を冷やせ」
詭弁だ。だが、それなりの効果はあったらしい。不二は小さく溜息を吐くと、小さく頷いた。俺も内心、安堵の溜息を吐く。
「ちょっと待ってよ、ケーゴ。何なの?この子」
そんな和やかな雰囲気を打ち壊す、うるせぇ声。
「てめーにゃ関係ねぇよ。どけ」
助手席のドアを塞ぐように立っている女を退かす。不二が戸惑い気味に俺を見たけど、それに構わず、助手席に不二を押し込んだ。ドアを閉め、運転席に回る。
「ケーゴ。今日は私と…」
「うるせぇつってんだろ。とっとと帰りやがれ」
「なんなのよ。そんなにこの子が大切なの?」
「……ああ。」
「愛情よりも友情の方が大切?」
何を怒り狂ってやがるのか。キンキンと、やかましい女だ。良かったよ。間違いを起こす前に、てめぇの本性が判って。
「違うな。俺は友情よりも愛情をとる」
女と車を交互に指し、言った。何を言っているのか理解らないというような顔をしていたが、暫くして女の顔は信じられないというようなそれに変わった。
「何?じゃあ、ケーゴはバイなわけ?」
「さぁな。だが、1つだけ言えるのは、てめーにゃ端から愛情なんてくだんねぇ感情を抱いちゃいねぇって事だ」
「信じらんない!」
「てめーだって、どーせ俺の金目当てなんだろーが。とっとと失せろ」
野良犬でも扱うように、俺は手で女を掃った。女の顔が屈辱でなのか、真っ赤に染まる。
「月曜日、覚えときなさいよ。アンタがホモだって事、学校中に言いふらしてやるから!」
俺を強く睨みつける。馬鹿な女だ。
「勝手にしろ。どーせ誰も信じやしねぇよ」
俺の言葉に構わず、女はしゃがみ込んだ。視界から消える。
「男のクセに挿れられて感じてんじゃないわよ!」
響く罵声。女は立ち上がり俺の車を蹴飛ばすと、すっきりとした顔で去って行った。道を歩いている奴らの視線が、俺から歩き出した女へと移る。その隙に、俺は車を走らせた。
「……跡部…よかったの?」
信号に捕まると、不二が思い出したように呟いた。
「別に構わねぇよ」
不二の頬に手を当て、触れるだけのキスをする。お前の方こそ大丈夫なのか?とは、絶対に訊かねぇ。せっかく攫ったのに、わざわざ思い出させるような馬鹿な真似は、俺はしねぇ。悪ぃな、手塚。
「……何処に行く気?」
「さぁな」
呟いて、もう一度唇を重ねる。今度は、少し長めのキスだ。胸の中で息を潜めていた熱いものが、競り上がってくるのを感じる。
「……ん。跡部、前」
「あ、ああ」
そのまま情に流されたい気持ちを抑え、俺は慌ててアクセルを踏み込んだ。俺の焦りを知ったのか、隣で不二がクスクスと微笑う。
「彼女、凄い誤解してたね」
愉しそうに言うと、不二は俺の手に自分のそれを重ねてきた。温もりに、眩暈がする。
「何だ?」
「イれられてヨがってるのは、僕じゃなくて君なのにね」
指を絡めるようにして、上から手を握る。事実だから言い返しはしねぇが。何となく、納得がいかねぇ。
「……じゃあ、交換してみるか?」
「嫌だよ。僕は君ほど女々しくないからね。それに、君だって嫌でしょう?」
「…………まぁな」
俺の言葉に、不二からの満足そうな笑みが漏れる。離れていく温もり。
訪れた沈黙の中、横目で見た不二は、頬杖をつき、窓の外。いいや、そのずっと遠くを見ているようだった。
横顔でも嫌というほどに判る、後悔の色。可笑しな話だ。少々強引だったとはいえ、最終的な決断をしたのはお前の方なのにな。
「遠くまで、飛ばすぜ」
「……うん」
上の空な返事。心の中で舌打ちをする。
少しでも意識が俺から離れると、すぐ奴の元へ戻っていっちまう。理解ってるんだ。不二の眼には手塚しか映っていないということが。
だが、今、目の前にいるのは、俺だ。
アクセルを深く踏み込む。
こうなったら。もっと、遠くへ。手塚のことなど考えられないほどに遠くまで攫ってやる。
そうして、好きになっていけばいい。傍にいる、俺のことを…。
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