どうして、こんな関係になってしまったのか。
体を重ねる前なら何となく分かったかもしれないけど。今となってはもう、記憶の奥底だ。
まぁ、疑問に思うからといって、それが嫌だというわけでは決してないのだけど。
「跡部…」
僕の腕の中でまどろんでいる彼の名を呼び、その髪を撫でる。けれど。彼は、鋭い視線を一瞬僕に向けただけで、顔を向けようとはしなかった。
理由は気だるいからじゃなく。きっと、僕が名前を呼ばないから。
付き合うことを承諾してから、彼はひたすらに僕に景吾と名前で呼ぶようにせがんで来た。自分も周助と呼ぶから、と。
だけど、僕は苗字で呼ばれることのほうが慣れてるから。彼にも苗字で呼ぶことを要求した。勿論、僕も今まで言い慣れた苗字で彼を呼んでいる。
それが、気に食わないんだ。
「跡部」
彼がこっちを向かないから。僕から目を合せに行く。彼の頭から、腕を抜き取って、体を起こ――。
「何処に行く気だ?」
起こそうとした肩を掴まれ、無理矢理ベッドに押し付けられた。痛みが走ったのだろう。彼は顔を歪めながら、それでも僕を真っ直ぐに見つめ、起き上がれないよう体に圧し掛かってきた。
「何処に、行く気だ?」
もう一度、繰り返す。その言葉は、さっきよりもはっきりとしていたけれど。さっきよりも酷く揺らいでいた。
「何処にも行かないよ」
首を振り、彼の頬に手を伸ばす。
「じゃあ、なんっ…」
「跡部が、こっち向いてくれなかったから。だったら、僕から出向こうと思って」
唇を離し言うと、僕は微笑った。けれど。
「ふん」
彼は何故自分が振り向かなかったのかを思い出して、不満げな声を上げた。僕の隣へと、顔を歪めながら戻る。
「それでも。ちゃんと特別だよ」
背を向けてしまった彼を後ろから抱きしめ、耳元で囁く。かかる息にか、彼は少しだけ反応したけれど。僕の言葉に対しては何も返してはくれなかった。
しょうがないな。内心、溜息を吐く。
こんな所で見える、彼の、イメージとは違う一面。
付き合い始めるまでは、もっと凛としたヒトだと思ってた。現に告白だって、気に入った。俺様と付き合え、なんて漢らしいものだったし。
だけど。何回か会っているうちに、見えてきた、彼の姿。乙女、といったら失礼かもしれないけれど。彼はある部分に置いては、そこらへんの女の子よりも女の子らしい。
ああ。もしかしたら、そういう所から、徐々に許してしまったのかも知れないな。
「ねぇ。名前で呼ばないと信じない?特別じゃなければ、今夜みたいなこと、しないよ。それとも跡部は、行動より言葉が欲しいのかい?」
「そういうわけじゃ…ねぇ、けど」
回した僕の腕を、ぎゅ、と掴み、今にも消え入りそうな声で呟く。また現れる、彼の、らしくない、部分。
僕としては。呼び慣れてるとか呼ばれ慣れてるとかということもあるけど。そんな、呼び方を変えるみたいな安易なやり方で、関係を証明していたくないと思ったからなんだ。
ちゃんと想い合っていれば、そんなの、どうでもいいはずだし。
でも、彼は。やっぱり名前で呼んで欲しいという。頭では、僕のいうことを理解できても。心が、理解してくれないらしい。
しょうがないな。もう一度、溜息。
「景吾。僕が悪かったから。こっち、向いてくれないか?」
「…………」
「景吾?」
黙ったまま動こうとしない彼に、もう一度、顔を覗き込むようにして呼びかける。すると、彼は勢いよく僕の方を振り向き、そして殆んど突進するように僕の胸にその顔を埋めてしまった。
強く押し付けてくる頭を、なだめるように優しく撫でる。
肌の触れ合う箇所が酷く熱くて。もしかしたら、彼は今、照れているのかも知れないな、と思った。それと同時に、もう一つ、思う。
「顔、見たいんだけどな」
「悪ぃ…しゅう、すけ」
付き合い始めたときは、自分も名前で呼ぶことに慣れなければと、やたらと僕の名前を呼び捨てていたのに。顔を上げた彼は、顔を朱に染めて、今にも泣き出しそうなくらいに目を潤ませている。
「特別、なんだから。僕にだけは、本当の景吾を見せてよ」
軽いキスをし、微笑う。すると彼も、キスを返し、そして照れたように微笑った。
その表情や仕草に。イメージはイメージでしかなく。それとは違う、これこそが、本当の彼なのだろう。
そして。
「景吾」
名前を呼ぶたびに、本当の彼が現れてくれるのなら。僕は何度でもその名前を呼んであげようと、思った。
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