「何、呆けとんのや」
体に圧し掛かるようにして顔を覗き込んでくる彼に、僕は曖昧に微笑い返した。その頬を包み、唇を重ねる。
「キスなんかしても、誤魔化されへんで」
「何?」
「今、手塚のこと考えてたやろ」
真っ直ぐに僕を見つめ、その低い声を更に低くして言う。瞬間、どうはぐらかそうかと思考を巡らそうとして、諦めた。
嘘なんて、どうせすぐにバレる。僕は手塚に関してのことでは、彼に嘘が吐けないらしい。……隠す必要が無いと、頭の中で分かっているからなのかも知れないけれど。
「まぁね」
開き直ったように頷いた僕に、彼は呆れたとでも言うように大きな溜息を吐いた。その後で、今度は彼が僕の頬に触れ、口付ける。
「いつまでも引き摺るのは止めにしようや。今は俺が恋人やねんで」
「……ん」
半分上の空で頷くと、大きな溜息と共に体に掛かっていた負荷が消えた。隣に、あー、と叫びのような声を上げながら、彼が大の字に寝転がる。
「する前は俺んことだけやのに、したらいつもこれや。比べてんのんか?俺は体だけか?胸くそ悪いわ」
腕を折り、瞼に当てて言う彼が、泣いているように思えて。
「……泣いているのかい?」
僕は彼の上に跨ると、その手を掴んでベッドに押し付けた。
「残念。嘘泣きや」
「っん」
顔を覗き込んだのを上手く利用されて、唇が重なる。離れようと思ったけれど、その前に彼が両腕を僕の背に回してしまったため、仕方なく僕はその口づけを受け入れた。
「そないに前の奴がええんなら、俺と付き合わなければよかったやろ」
強く抱きしめ、耳元で囁くようにして言う彼に、僕は内心溜息を吐いた。
今はまだ引き摺ってても構わない。いつか自分が手塚を忘れさせる。だから…。そんなようなことを言うから。それなら。無理に忘れようとしなくても構わないのなら、って僕はその手を取った。
だから今更、僕が手塚を引き摺っていることをとやかく言われる筋合いは無い。それは彼も承知の上でのことだから。
それとも。回を重ねる毎に、望みが大きくなって行ってしまったのだろうか。手塚に対する、僕と同じように…。
「いや、それ以前に」
言葉を返すこと無く、ただ彼に圧し掛かっている僕に呟くと、彼は自分から僕を剥がした。
「前から訊こうと思っててん。不二は端から見ても呆れるくらい手塚のこと好きそうやったのに。何で別れたん?」
「…さぁね。そこらへんは手塚に訊いてくれないか。僕は振られたんだから」
「……やっぱり、手塚が振ったんか。噂はほんまやったんやな」
「何か言っ…」
「せやけど、好きなら何でそれを受け入れたん?」
「………多分。ショック、だったからじゃないかな。突然手塚に別れを告げられて。ショックで。無気力で。きっと、全てがどうでもよく思えた」
「多分?きっと?」
「そこらへんの記憶、曖昧なんだ」
感情は、痛いほど憶えているけど。
手塚に別れを告げられた時。僕は自分の存在価値を一瞬にして見失った。今まで、手塚が必要としてくれていたから。必要としてくれてると思っていたから。テニスだって僕にしては珍しく本気になって頑張っていたし、それ以外のことだって。
手塚は知らないんだ。手塚に出会う前の僕が、どれほどに無気力な毎日を過ごしていたのか。適当に物事をこなすだけで、周りは満足して。だから、僕自身も本気で何かに取り組むなんて事は無かった。手塚に、出会うまでは。
そのことを、僕は手塚に話したことは無かったけど。手塚は僕に、僕と似たようなことを話してくれた。それまで、テニスでライバルと呼べるような相手がいなかったこと。他人に興味を持つなんてことが無かったこと。
だから僕は、僕が手塚を必要としているように、手塚も僕を必要としてくれていると思ってた。
けれど……。
「どうでもよく思えたんなら、何でそのまま忘れたらええやろ?」
「あの時は、どうでもよく思えたんだよ」
だから、素直に手塚の別れを受け入れたんだ。
なのに、今になって、こんなにも…。
「離れて分かる大切さっちゅう奴か。……案外、不二もねちっこい性格してんねんな」
「君に、言われたくは無いかな」
呟いて、彼の肩を掴む。それまでとは違う深い口づけをすると、彼の体を押し倒した。僕の下で、珍しく彼が抵抗する。
「何、すんねっ…」
「どうせだから。もう1回くらい付き合ってよ。忘れさせてくれるんだろ?」
「……もし」
「ん?」
「もしも、や。手塚がやり直そうって言ってきたら。不二は…?」
別れてから。手塚が僕を必要としてなくても、それでもやはり僕には手塚が必要で。それは他の誰でも駄目なんだって気付いたとき。もう1つ、気づいたことがあった。
「やり直すなんて出来ない。もう、元に戻ることは、出来ない」
1度壊れてしまったものは、もう2度と同じ姿形には戻らない。例え、もし、何かの奇跡のようなもので、僕と手塚が再び付き合ったとしても。それはあの時の関係ではなく。きっと、別の形のもの。
「だから、やり直さない。そんなことは、出来ないから」
それに、僕には今、忍足がいるしね。付け足しすようにして微笑うと、彼は呆れたように溜息を吐いた。
「……まぁ、ええか。今は、それでも」
じっと彼を見下ろしたままの僕に苦笑しながらそう呟くと、彼の方から誘うように腕を伸ばしてきた。
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