君とのDistance
「榊さん?」
 玄関を開けた途端香った食事の匂いに、僕は思わず名前を呼んでしまった。
 キッチンから、エプロンをかけた榊さんが顔を出す。
「随分と遅かったな」
「独り身な奴等でクリスマスを過ごそうって、さっきまで仲間達とカラオケに行ってたんですよ」
「君は独り身ではないだろう」
「じゃあばらせっていうんですか?」
 クスクスと笑いながら、彼の首に腕を回してキスを交わす。味見でもしていたのだろう。二週間ぶりのキスはいつものそれとは違った味がした。
「それにしても、何なんですかこれは」
「今日がクリスマスイブだということは知っているんだろ」
「そんなつもりで、今日を選んだわけじゃないんですけどね」
 実際、英二からカラオケに誘われるまで今日がクリスマスイブだということを忘れていて。どうりで矢鱈と街が輝いていたわけだ、と苦笑したばかりだ。
「なら、どんなつもりで私の所に?」
「勿論、そういうつもりではありますけど」
 首に回していた手を滑らせて体の線をなぞる。そのままエプロンの紐を解こうとしたが、制されてしまった。
「榊さん」
「夜は長い。食事をしてからにしよう」
「そうですね。腕によりをかけたみたいですし」
 少し勿体無いと思ったが、彼の料理が美味いことは知っているので僕は我慢することにした。
 それにしても、二週間ぶりか。
 師走とはよく言ったもので。期末テストや忘年会などで彼は忙しく、ようやく暇になったのが今日。だから僕は特に日付を気にせず、いち早く会える日を選んだ。ただそれだけのこと。
 それがクリスマスイブなんてな。ああ、だから母さんは淋しそうな顔をしてたのか。
 来週泊まると告げたとき、母は少し考えて淋しそうな表情で頷いた。年中行事は家族でという、特に決まりがあるわけでもないから何も言わなかったのだろうけど、毎年そうだったから。この先、もしかしたら家族で過ごせるイベントが減ってくるかもしれないと、そんな思いが頭を過ぎったのかもしれない。
 来年は、もう少し日程を考えないとな。それに今日がイブなら、明日の夕方くらいに帰ればいいだろう。問題は、榊さんが僕を解放してくれるかどうかだけど。
 独り身には大きすぎるテーブルに、二人分でも多すぎる料理が並んでいる。その傍らにはシャンパンが用意されていて、僕は思わず苦笑した。
「榊さん。今日は僕も飲んでいいってことですか?」
「君にはシャンメリーを用意してある。そちらを飲みなさい」
「ずるいなぁ、自分だけ」
 笑いながら席に着く。彼は本当にシャンメリーを持ってくると、付けていたエプロンを外して僕の向かいに立った。
 ポンと軽い音を立てて、シャンメリーの線が抜かれる。続いて、シャンパン。
「じゃあ、乾杯しようか」
「どうぞ」
「乗り気じゃないんだな」
「クリスマスに浮かれるような年齢でもないので。って、それは榊さんに失礼かな」
「構わないさ。……メリークリスマス」
「メリークリスマス」
 グラスを交わし、口を付ける。彼もそこでようやく椅子に座った。
 グラスを一気に煽る彼を、じっと見つめる。
「そんなに見つめても、教師が未成年に酒を飲ませるわけにはいかない。諦めなさい」
「そうじゃないですよ。ただ、どうして二人しかいないのに、向かいの席なんだろうと思っただけです」
「君には一般的な思考はないのか?」
「榊さんの顔を見れるのは、それはそれでいいんですけど。少し、遠くて。そう、例えば今日みたいに久々に会うような日は」
 意味深な視線を送り、微笑んで見せる。本当なら手を伸ばして呆れたように僕を見つめるその顔に触れたいのだけれど、そうするにはやはりこの距離は遠すぎた。
「君のような人間が、私の生徒でなくてよかったとつくづく思うよ。少し狭くなるが、いいだろう。来なさい」
 暫くの沈黙の後、溜息と共にグラスを置くと、彼は言った。
 これだけのテーブルに二人並んだくらいで狭くなるとは思えなかったのだが、僕は特に反論はせず椅子を持って隣に座った。それも、出来るだけ椅子を近づけて。
「この溝は、流石に椅子じゃ埋まらないですね。ファミレスなら」
「君は外で食事をするのが嫌いなんじゃなかったのか?」
「二人しかいないのに向かい合わないといけない距離が嫌いなだけですよ」
 僕の言葉を遮る彼に、僕は笑うと言った。右手を伸ばし、彼の左手に重ねる。指を絡めた所で、僕はある問題に気付き、溜息を吐いた。
「どうした?」
「これだと、僕が何も食べれないなって。左利きになる練習、しとけばよかった」
「本当に、君という人間は……」
 それでも手を離そうとしない僕に、彼はこめかみを押さえて呟くとそれでも口元を緩めては何故か意味深に笑った。




カウンタ席だと椅子が固定だし、ソファだと対面になるし。
この後、榊が不二にあーんとかやってたらいいな。
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