[klous]
「何をやっているんだ、俺は」
 青春学園の門を前に、俺は自己嫌悪に陥ってしまった。その場にしゃがみ込み、深く溜息をつく。
 地区予選でのその華麗なプレーを見てからというもの、俺の頭から不二周助という人物が離れることはなかった。
 会いたい。
 それだけを強く想った。理由など分からない。会って何をしたいというわけでもない。だが、どうしても会いたかった。次の大会までは待てないほどに。
 会いに行く口実なら簡単に思いつくことが出来た。河村や越前の怪我の具合を聞いて軽く詫びる。これ以上の口実はない。そう思って、俺は青学まで来た。の、だが。
 それならば、不二に言わず、直接河村や越前たちに詫びるべきだろう。などと、今更気づいても遅い。すでに俺は、青学に着いてしまっているのだから。
 なら、このまま帰るか?
 だがそれは出来ない。どちらにしろ、不二に会う理由としてはそれしかないのだから、今会わないのなら、次の大会まで会えないということになってしまう。それでは困る。
「……よし。駄目もとで行ってみるか」
「何処へ?」
「!」
 突然背後からした声に驚いて振り返ると、優しい笑顔が俺に手を差し伸べていた。
「そんな所でしゃがみ込んで。具合でも悪くした?」
「不二…」
 何、と微笑む不二に、何でもない、と呟くと俺はその手を取ろうとして止めた。そのまま、助けを借りずに立ち上がる。
 緊張で僅かに手が震えていることに気づかれないよう、俺は自分の手を強く握り締めった。
 落ち着けと言い聞かせ、深呼吸をする。
「不動峰の部長が、青学に何か用かい? 部活はもう終わったけど、今ならまだ顧問も手塚もいるはずだから。入り辛いのなら僕が呼んでこようか?」
 俺の内心の焦りも知らずに不二は言葉を続けると、出てきた門をまたくぐろうと踵を返した。
「待て」
 考えるよりも手が先に出る、というのはこういうことなのだろう。気が付くと、俺は不二の手を強く掴んでいた。
「何?」
 突然の俺の行動に少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻ると不二は向き直った。掴んだ手はそのままに。
「青学に用があるんじゃないのかい?」
「いや…その、だな」
 用は、あるのにはあるのだが。それは、青学に、ではなく、不二に、だ。だが、それをどうやって説明すれば良い? 完璧だと思っていた口実は、先ほど使えないことに気づいてしまった。
「もしかして、越前くんと河村のその後の経過が気になってとか?」
 俺が言い出せずにいることから察したのか、不二は使えないはずの口実を持ち出してきた。他に理由が無かった俺は、不二の言葉に思わず頷いた。
 だが、それは失敗だったとすぐに気がついた。
「……そう」
 静かな声で頷いた不二は、笑顔を崩すと俺を強く睨みつけて来た。つばめ返しを打って見せたときよりも鋭く深い蒼。
「だとしたら、君が心配するようなことじゃないよ。謝ることでもない。あれは君たちが直接狙ったわけじゃなく、それを受けたこちら側の責任だ」
 これまで違う低い声に、俺は何故か胸の高鳴りを覚えた。そんな自分の感情に、軽く混乱する。
「気を悪くしたのなら謝る。すまない。だが…」
「ストップ」
 言うと、不二は言葉を遮るように手を俺の口に向けた。
「それ以上言うと、本当に怒るよ? 彼らの傷は治っているし、君たちのことを気にしてなんかいない。でもね、君たちが謝ることで返って気にしてしまう可能性があるんだ。特に河村なんかは」
 優しいからな、タカさんは。呟くようにして言う不二の眼が、一瞬だけ優しいものになる。そのことに、俺は僅かではあるが苛立ちを感じていた。震えを隠すために握っていたはずの拳が、その怒りを抑えるためのものに変わる。
 だが、不二がそれに気づかない。気づくはずがない。それもそうだ。俺ですら、気をつけなければ分からないほどの感情。けれど、それは確かに存在していた。
「ねぇ、橘」
 溜息混じりに名を呼ばれ、俺は意識を不二に戻した。目を合わせると、不二は目を細めて微笑った。
「ずっと君に言いたかったことがあるんだ。どうせだから、今言わせて貰うけど。いいかな?」
 不二の白い手が、強く握られていたオレの手を包んだ。その手は、想像していたよりもずっと温かく、そして男らしかった。
 伝わってくる体温に、心拍数が上がる。そんな俺の動悸を知ってか知らずか、不二は俺の手を開くと自分の手を乗せ、強く握り締めてきた。強く、強く、強く…。
「最終的に打ったのは石田君だし、二打目は不発に終わったけど」
「っ」
 骨が軋むくらいに俺の手を握り締めると、不二は笑顔を崩し、俺を見据えた。その鋭すぎる眼に、気圧される。
 だが、距離を置こうにも、不二に強く手を握られていてはどうすることも出来ない。いや、手を握られていなかったとしても、動くことは出来なかっただろう。
 気圧されながらも、俺はその眼に確実に魅せられていた。
「あれは君にも責任がある。気づいていたはずだよ、彼の腕が、連続で波動球を打つには耐えられないって」
 不二に手を引かれ、顔が、鼻先が触れ合うほどに近づく。不二が怒っているからではなく、別の意味で俺の胸の鼓動は速まっていた。不謹慎だとは思いながらも。
「橘、聞いているのかい?」
「あ、ああ」
「君しか石田君を止められる人間はいないんだ。波動球を受ける側なら、危険と判断すればそれを返さなければいい。だけど、波動球を打つのは彼だけなんだ。それを君が促してどうする? 君は、敵だけじゃなく味方の腕すらも潰そうとしたんだ」
「なっ…」
 不二の口から出てきた言葉の意味を理解した俺は、また、軽い混乱に陥ってしまった。
 てっきり、不二は二打目の波動球で河村の腕が壊れたらというようなことを言っているものだと思っていた。それなのに、不二の口から出たのは敵である俺たち不動峰を気遣ってのものだった。
 不二の言わんとしていることは分かるのに、何故それを不二が言うのかが分からない。一体何だというんだ、この男は。
「そ、んなこと。分かっているさ」
「そう。なら、いいけど」
 だけど。言いかけると、不二は握った俺の手を、捻り上げた。
「っ」
 苦痛に、顔が歪む。こんな細く小さな体のどこにそんな力があったのか。もしかしたら、石田の波動球は不二になら容易く返されていたかもしれない。そう思えてしまうほどの、力だった。
「もし君が、自分の勝利の為だけに部員達を危険な目に合わせようとするのなら。僕が君を潰しても構わないんだよ?」
「……俺は、そんなことはしない」
 軋む腕の痛みに耐えながら、俺は何とか不二を見据えて言った。
 そうだ。俺は自分の為に部員を利用したりはしない。もう、二度と…。
「……冗談だよ」
 そのまま暫く見つめ合っていたが、不二は口元を緩ませると、そう呟いた。ゆっくりと、不二の手が俺の手から離れていく。
「まぁ、君がもしそんな人間なのだとしたら、彼らは君を慕ったりしないだろうからね」
「だったら…」
 何故そんなことを言う? けれど言葉は、声にはならなかった。いや、声にすることすら忘れていた。
 俺を見つめる不二の眼は、今までにないほど優しい色をしていた。
「いつか。対戦でしたいね」
 再び俺の手を、今度は優しく握り締めると、不二は微笑った。
「……ああ。そうだな」
 頷いて、俺も手を握り返す。
 その時。
 伝わってくる優しい温もりに、俺は確信めいたものを感じた。


「あの時、だったな」
 絡んだ指。不二の手を親指で撫でながら、俺は思い出していた。
「何?」
「不二のことがずっと気になっていたのは、好きだからなのだということに気がついたのは」
 その優しい眼を見つめて言う俺に、不二はクスリと微笑うとキスをした。そのまま、肩に頬を寄せてくる。
「じゃあ、僕のほうが先なんだ。橘を好きになったのは」
「――え?」
「僕が石田君たちと試合をしていた時、部員に向ける君の優しい眼を見つけて。いいな、って思ったんだ。その優しい眼に僕を映して欲しいってね。それが好きだって言う気持ちなんだって気づいたのは、その気持ちを抱いたときと殆んど同じ」
「そう、だったのか」
「うん。だから、君を青学の校門で見つけたときは嬉しかったよ。でも、君ときたら僕なんか全然眼中に無いみたいでさ」
 だから、つい、あんなことをしちゃったんだ。君に、少しでも僕を印象付けようと思って。
「それに、君たちが勝ち進んでくれないと、折角君に憶えて貰っても、会えないんじゃ仕方がないしね」
 クスクスと悪戯っぽい笑みを浮かべながら言うと、不二は繋がっていない手で、俺の身体に触れた。指先で体のラインをなぞり、ボタンに手をかける。
「だとしたら、随分と自分勝手な台詞だったんだな。俺は本気でお前が石田を心配していると思ったのだが」
「非道いな。これでも本気で心配してたんだよ。君の部員達は、僕と橘とを繋いでくれる大切な糸だったんだから」
 糸だった。その不二の言葉が過去形になっていることに、俺は思わず微笑った。糸か。ポツリと呟く。
「……君だって、だから打たせたんでしょう?」
 言って繋いでいた手を解くと、不二は俺をソファに押し付けた。不敵に微笑い、俺を見下ろす。
 気づいていたのか。
 石田に波動球を打たせたのは、つばめ返し以上のものを見たいと思ったからだ。そして、そうすることで不二の中に不動峰という存在が印象付くだろうと思った。と、これは不二への気持ちに気づいてから理解したあの時の俺の行動の理由なのだが。
 そのことに、不二は気づいていた。しかも、恐らく、俺が気づくよりも先に。
 少し驚いたが、意外というほどでもなかった。そして、石田には悪いと思ったが、少し、嬉しくもあった。
「どうしたの? 行き成り黙って」
「別に。何でもないさ」
 笑顔で覗き込んでくる不二に、俺は笑顔で返した。途端、不二の顔が曇る。 「どうした? 行き成り黙って」
「別に。何でもないさ」
 不二の口調を真似した俺に、同じように俺の口調を真似して返すと。それが可笑しくて、俺たちはクスクスと微笑い、そしてキスを交わした。




橘桔平受アンソロジー【JUST ONE VICTORY】用に書いたもの。
2004年12月9日発行で売り切れてから大分経っているのでアップ。
自分のサークルで作った本なら再販も出来るのですが、これはそういうわけにはいかないのでね。
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