手を繋いで眠る。その優しい手から伝わってくるのは、温もりだけ。
おれの手からは、何が伝わってる…?
「裕太。おはよう」
「………はよ。」
カーテンの隙間から差し込んでくる陽の光に眼を細めながら、おれは身体を起こした。
兄貴はおれが起きたのを確認すると、窓を開け放った。舞い込んでくる、五月の風。
「昨日はよく眠れたかい?」
窓を背にするようにして振り返ると、兄貴は言った。
「……まあ、な。」
何だか顔が赤くなっちまって。おれは頷くと、そのまま俯いた。
「それにしても。中3にもなって、まだオバケとか信じてるなんてね」
「うるせっ。」
叫ぶと、おれは兄貴に向かって枕を投げた。渾身の力を込めたはずなのに、兄貴に簡単に受け止められちまった。兄と弟の力の差なのか、それとも、無意識に加減していたのか…。
GWを利用して家に帰ってきたおれは、早速、兄貴の歓迎を受けた。二人っきりでの、DVD鑑賞。……しかも、おれの大嫌いなホラー映画ばかり3本も。
前もって連絡しておいたのがいけなかったのか。GWの3日間、おれと兄貴以外、家には誰もいないらしい。恐らくは、兄貴の陰謀。だって、母さんと姉貴が3泊4日の温泉旅行なんて…。今時、そんなの行くか、フツー。しかも、おれが帰ってくるって言うのに…。それに、先週電話でおれが帰るって言ったときには、母さん、そんなこと一言も言ってなかった。
……結論。これはやっぱり、兄貴の陰謀だ。
「そんなに見つめられると、照れるんだけどな」
上機嫌な兄貴の声に、おれは我に還った。
「別に、見つめてなんかっ」
「照れない、照れない」
兄貴はおれの隣に座ると、満面の笑みを見せた。その笑顔に、また、おれの顔は赤くなっちまった。
「ったく」
諦めにも似た溜息をつく。兄貴はクスリと微笑うと、すぐ隣に置かれているおれの左手に自分の右手を重ねてきた。おれの手を包むようにして、優しく握る。まるで、昨日の夜みたいに。
そう、昨日の夜。兄貴からの歓迎を受けたおれは、案の定、1人ではどうにもこうにもいかないような状態になった。まあ、要するに、ホラーの世界に飲み込まれて、1人では寝ることはおろか、トイレにも行けない状態になっちまったってこと。情けない話だけど。
だから、昔のように兄貴のベッドで手を繋いで一緒に寝ることになった。おれがもっと小さかったころ、そうしてたように。久しぶりに入った兄貴のベッドは、二人で寝るには少し、窮屈だった。
「温かいね」
おれの耳元で、兄貴が言った。
ベッドで2人寝るには窮屈すぎるということで、おれは兄貴の胸に背中をぴったりとくっつけて、背後から抱きしめられるような形で横になっていた。もちろん、手はちゃんと繋いでる。
「裕太。心臓バクバク言ってるよ。………ほら」
言うと、兄貴はおれの手を持ったまま、手を胸に押し当ててきた。
「やめ、ろよ。」
薄いシャツ越しでも容赦なく伝わってくる兄貴の体温。顔を見られなくてよかったと思った。だって、おれの顔、ものすごく熱い。多分、真っ赤になってる。
「もしかして、まだ映画引きずってるの?」
「違ぇよ、馬鹿ッ」
オメーの所為だっつーの。…なんて言えるはずもないおれは、最後の抵抗として、身じろぎ、兄貴をベッドから落とそうとした。
「裕太。そんなに動いたら、僕、落ちちゃうよ」
「落ちろ、この馬鹿兄貴!」
「やだよ」
呟くような声とともに、兄貴はおれを強く抱きしめた。
「やだよ。裕太と離れるなんて」
「………あに、き?」
「ううん。何でもない。忘れて。おやすみっ」
捲くし立てるように言うと、兄貴はおれの首筋に顔をうずめた。わざとらしい寝息が聞こえてくる。
「………おやすみ。」
溜息混じりにいうと、おれは眼を瞑った。
心臓はバクバク言ってたし、兄貴の言葉が気になって眠れないかと思ったけど、おれは意外にもあっさりと睡魔に捕まっちまったみたいだった。
「裕太。なに考えてるの?」
俯いてるおれを覗き込むようにして、兄貴が聞いた。
「別に。なんでもねぇよ」
その笑顔から逃れるようにして、おれはベッドに仰向けになった。眼を瞑る。
「酷いな。僕はここにいるのに」
「あん?」
「ねぇ、裕太…」
声が自分の上から降ってきたのに驚いて、おれは眼を開けた。鼻先が触れるか触れないかの所にある、兄貴の、顔。兄貴はおれに覆いかぶさるような格好で、おれを見下ろしていた。
「…なっんだよ」
妙な期待で顔が赤くなる。それを隠そうと、おれは兄貴を自分の身体から放そうとした。が、その手はあっさりと兄貴に捕られ、ベッドに押し付けられた。本気で抵抗すれば逃れられたかもしれないけど、何故かその気は起きなかった。
そのまま、黙って見つめ合う。本当は眼をそらしたかったけど、兄貴の真剣な眼がそれをさせなかった。
心臓の音が五月蝿い。
「あに、き?」
たまらず、おれは言葉を発した。
「……裕太。ご飯にしよっか」
「は?」
「朝食だよ。実はもう準備できてるんだ。早くしないと、冷めちゃうよ?」
悪戯っぽく笑って言うと、兄貴はおれから身体を離した。混乱してるおれに、おれの部屋から勝手に持ってきたらしい服を投げてよこした。
「早く着替えちゃいなよ」
「あ、ああ。」
日常的な風景に戻ったことに舌打ちしている自分に気づき、おれは慌ててその考えを振り切った。服を着替える。見ると、兄貴はドアに手をかけたまま、おれの方をじっと見つめていた。
「な、なんだよ。人の着替え、ジロジロ見んなよな」
口をとがらせると、兄貴は、ごめん、と微笑った。
「いや…。昨日も思ったんだけどさ。身体つき、男らしくなったよね」
「あ、ああ。そういうのは、観月さんが全部管理してくれてっからな」
「…………………あいつ、卒業してもまだ顔を出してるのかい?それとも、ダブり?」
まずった。兄貴の前で観月さんの名前は禁句だったことを忘れていた。兄貴の顔には、明らかに不機嫌の色が浮かんでいる。
「っつっても、ほら、観月さんも自分の部活のほうが忙しいらしくてさ。一月に一度、こっちに顔を出して、個人にあった練習メニューを渡してくって、その程度だよ」
本当は、一週間に一度だけど。
「ふぅん。」
納得が、いったようないかないような、曖昧な相槌。というより、何かを考えてる?
「じゃあ、あとで観月にお礼しとかなきゃね。裕太の面倒を見てくれてるんだし」
ふっと兄貴が口元だけを緩ませた。
……すみません、観月さん。おれには兄貴を止められそうにないです。
「でもね、裕太。」
「?」
「いくら裕太が強くなっても、僕には勝てないよ」
「あ゛あ゛?」
「だって、裕太は僕のものだからね。」
余裕たっぷりの笑みを見せると、兄貴はドアを開け、部屋を出て行った。途中、餌付けはしっかりやらないとね、と呟く悪魔の声が聞こえてきた。
溜息、ひとつ。
GWは今日を入れて残りあと二日。兄貴のよくわからない行動に、おれの理性がどこまでついていけるか。
「確かに、兄貴には一生勝てねぇ気がする」
呟くと、また、溜息が出た。