行事は好きだ。それを理由に家へと帰れるから。去年は七夕すらも家族全員で過ごした。リビングから見える笹には、おれの願いの書いてある短冊。その隣には兄貴の願い。
おれが毎年書いているのは、兄貴を倒す事。そして兄貴はおれがいつまでも兄貴の弟でいることを願っている。
兄貴のその願いに、違和を感じるようになったのはいつ頃だろう?
おれが弟と呼ばれる事を嫌がったのは、兄貴の所為じゃない。おれが兄貴から離れたのも、兄貴の所為じゃない。
理由は自分自身、嫌と言うほどわかってる。
全て、おれが悪い。
でも、兄貴はまるで自分の所為でこうなってしまったかのような哀しい顔をする。それを見るのが、嫌で。また、おれは兄貴から顔を背けてしまう。それを見た兄貴は更に哀しい顔をしている事だろうと思う。
悪循環。このままじゃいけないって事、わかってるんだけど。真相は、死んでも言えない。
「裕太は今までと違うお願い事をしたんだネ」
夜も遅く。一人ソファに座り風に揺れている短冊を見ているおれに、兄貴は紅茶を出しながら言った。隣に座る。
「………人の勝手に読むなよな」
本当は紅茶を淹れてくれた礼を言いたかったのに、口から出るのはそんな言葉ばかり。素直になれない自分に、いい加減、嫌気がさす。
兄貴は困ったように微笑うと、自分の分の紅茶に口をつけた。おれも兄貴に倣う。……甘い。兄貴はいつも何も言わなくてもおれの好みの味を作ってくれている。嬉しいけど、喜ばしい事じゃない。
「おれ、次から砂糖は自分で入れるよ」
「………甘過ぎた?」
「そういうわけじゃ、ねぇけど」
歯切れの悪い会話。ぎこちないのはおれが変に意識している所為。兄貴が変に気を使っている所為。
もう、今までみたいな空気は味わえない…?
溜息を吐き、紅茶をテーブルに置くと、おれはソファに深く身を沈めた。隣で兄貴が小さく深呼吸をするのが聴こえる。
「…ねぇ、裕太。触れてもいい、かな?」
「え?」
耳元で聴こえた声は驚くほど弱々しく。けれど、その言葉と同時におれを抱き寄せた手は温かく、力強かった。
「あに、き?」
「……ごめんね」
呟くようにして言うと、兄貴はおれの頭を撫でた。小さかった頃、おれが苛められて泣いていた時、そうしたように。
おれは兄貴に身を委ねると、静かに眼を閉じた。あの頃と同じように。
おれが短冊に書いた願いは、来季の大会でのルドルフの優勝。それは兄貴を越えたいという思いも含まれていたけれど。あえてそっちを書いたのには理由がある。
兄貴の願いが、変わっていたからだ。誰よりも高い位置に飾られていた短冊。そこにはおれの名前なんてどこにもなくて。あったのは、最近よく兄貴と一緒にいるのを見かける奴の名前。
わかってはいたけど。願っていてもいいけど。おれの眼につかないようにして欲しかった。諦めろってアイツに言われているみたいで。
だから、おれは書いたんだ。別の願いを。弟じゃなく裕太として周助とずっと一緒にいたい、って。
けれど。そんなの誰にも見せられるわけがないから。その願いは今、おれのポケットの中で眠っている。日付が変わる前に、こっそり飾ろうと思っていたのに。このままじゃ、飾れない。兄貴の温もりに捕まったら、逃げられるわけがない。
けど、どちらにしても同じ事だ。星に願ったって、そんなもの、叶うわけがない。
本当に願いをかなえたいなら、やっぱり…。
「……しゅうすけ。」
「……………何?」
名前で呼ばれた事に何か思ったのか、兄貴はおれの顔を不思議そうに覗き込んできた。ポケットの中にある想いを、強く握り締める。
どのみち、壊れかけた関係。良くても悪くても、変化を望むなら…。
おれは兄貴の腕を解き立ち上がると、ポケットにある短冊を手渡した。
「…裕太?」
「これ。飾っといて」