二択。


「裕太は。僕と観月、どっちが大切なの?」
 急に真剣な眼つきになると、兄貴は言った。飲んでいた紅茶をふきだしそうになる。
「な、何言ってんだよ」
「答えて」
 おれの手から紅茶を奪い、テーブルへ置く。兄貴はおれの肩を掴むと、強引に自分の方へ向けさせた。
 何で、急にそんなことを訊かれなきゃなんねぇのか、分からない。
 兄貴の行動には意味不明なことが多すぎる。昔からそうだったけど、最近はワケ分からん度が3割増だ。
 夏休み、大会が無いのをいいことにおれを無理矢理家に呼び戻して、外出禁止令を出しやがった。そのくせ、自分は部活やら越前とか言うチビとのデートやらで、しょっちゅう外出してやがる。朝帰りなんてザラだ。
 別に兄貴からの命令なんか守る義務はねぇんだけど。一度、兄貴の命を破って外出したときには、どこから嗅ぎつけたのか、連れ戻しに来やがった。あのときの兄貴の凍りつくような笑顔。思い出しただけで、寒気がする。
「僕と観月、どっちが大切?」
 何も言わないでいるおれに、苛立ったように兄貴は言った。
 肩を掴む手に、力が込められる。少し痛いけど。それ以上に、胸の奥がチクチクと痛んだ。見つめられていることに緊張し、顔が熱くなる。気付かれたくなくて、おれは顔を伏せた。
「あ、兄貴に決まってんだろ」
 家族なんだから、と言い訳を付け加え、おれは答えた。肩を掴む手が、少しだけ緩む。
 何を、言い訳なんかしてるんだおれは。はっきりと言えばいいのに。越前に奪われるのが嫌なら、この状況を変えるしか方法は残ってねぇってのに。
「………じゃあ、好きなのは?」
「っ!?」
 その言葉に驚いて、おれは顔を上げた。兄貴の蒼い眼と、目が合う。
 何を言えばいいのか、分からない。
 ここでおれが、もし兄貴を好きだと言ったら?越前の所に行くなと泣いて頼んだら?兄貴はおれの傍にずっと居てくれる?それとも、気持ち悪いと軽蔑する?
 拳を強く握り締めると、気持ちの悪い汗が掌にじわりと滲んだ。
「………やっぱり、観月が好きなんだね」
 落胆したように、兄貴が言った。その溜息に無性に腹が立って…
「違っ、おれは――」
 言いかけたところで、我に返った。
 おれは今、何を言おうとした?
「『おれは』?」
 訊き返してくる兄貴に、おれは顔を伏せた。
 言えない。兄貴が好きだなんて、やっぱり言えない。
 第一、兄貴も兄貴だ。何で観月さんと勘違いするんだ?確かに、観月さんは強いし、カッコイイとは思うけど。そういうのとは、違う。観月さんを好きになれたほうが、どれだけ楽か。でも、無理なんだ。
 一度、試したことがある。おれは男しか好きになれないんじゃないかと思って。だったらって、観月さんを好きになろうとしたことはあった。でも、駄目だった。おれが好きなのは、兄貴だけなんだ。不二周助という人間だから、好きになった。
 なのに、兄貴は…。
「あ、兄貴のほうこそ、どうなんだよ?おれと越前、どっちが大切なんだ?」
「もちろん裕太だよ」
 睨み付けるおれに、兄貴は笑顔で即答した。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったおれは、余計にどうしたらいいのか分からなくなっちまいそうになる。
 落ちつけ、と自分に言い聞かせる。ここで言っちまったら、全てが無駄になる。せっかく、兄貴がおれを家に呼び戻してくれたのに。ヘタしたら、二度とここへは帰って来られなくなっちまう。
 だけど。このままだと、どっちにしろ兄貴の質問に答えなきゃなんない。兄貴から逃れる術なんか、どこにもねぇんだ。
 嫌な汗の出ている拳を、もう一度強く握り締める。喉が、コクリと鳴った。
「じゃあ……おれと越前、どっちが好きなんだよ?」
「……どっちだと思う?」
 訊いてるのはおれなのに。兄貴はクスクスと微笑いながら訊き返してきた。
 ムカつくから、わざとらしく舌打ちをしてみせる。
「どぉせ、越前なんだ――」
「裕太だよ」
 おれの声を遮るようにして、真剣な兄貴の声が飛んできた。真剣な眼差しも。
「僕が好きなのは、裕太だよ」
 おれの眼を見て、もう一度、はっきりと、兄貴は言った。
 これは冗談?何かの間違いだろ?それとも、夢?
 幾つかの仮説はたてられ、そして全ては否定された。だって、いつまで経っても兄貴の真剣な眼は悪戯っぽい笑みに変わらねぇし、いくら緊張してるからって二度も訊き間違えるなんて在り得ねぇ。それに、何度瞬きをしても、この現実は終わってくんなかった。
 夢なんかじゃない。肩に感じる温もりが、凄く、リアルで。おれの背を伝うワケの分かんねぇ汗もリアル。この胸の鼓動だって、リアル。
「だから、裕太も教えて?僕と観月、どっちが好きなの?」
 おれの眼をじっと見つめる。逃げ出したくても、逃げ出せないことは分かってる。
 『僕が好きなのは、裕太だよ』。頭の中で、兄貴の声が反響する。
 言うしかない。今しかない。多分、言っても大丈夫だ。兄貴はおれを好きだと言ってくれた。きっと、大丈夫。
 頼むから、掠れた情けない声は出ないでくれよ。自分の体に、しっかりと言い聞かせる。
 顔を伏せ、小さく深呼吸をすると、もう一度兄貴を見つめた。息を、ゆっくり、大きく吸い込む。
「おれは…。おれも、兄貴がす――」
「なんてね、冗談。ビックリした?」
 また、おれの言葉を遮るようにして言う。兄貴は悪戯っぽく微笑うと、おれから手を離した。ソファに深く体を沈め、伸びをしている。おれはそんな兄貴を唖然と見ていた。
「何?まさか、本気にしたの?僕が裕太を本気で好きだって思ったの?」
 おれの様子に気付いた兄貴が、愉しそうに微笑う。おれは我に還ると、慌てて首を振った。
「ま、さっか。本気にするわきゃねぇだろ。気持ち悪ぃ」
 言いかけた言葉を飲み込み、そのかわりに深く息を吐いた。けど、兄貴に好きだって言われたときからの胸のドキドキは、全然鎮まってなんかくれない。
「だよね。良かった。裕太が本気にしたら、僕、どうしようかと思っちゃった」
「だったら、そんな冗談言うなよな」
「リョーマに言われたんだよ。訊いてみれば?ってね」
「………あのチビっ」
「ゆーた。口が悪いぞ。おにーちゃんの恋人を悪く言わないの」
 諭すように言うと、兄貴はおれの頭をわしゃわしゃと撫でた。
 ……こいびと、か。
 その兄貴の言動が、さっきまでの二人は幻で、目の前にある兄弟という関係が現実なんだって言ってる気がして。チクチクと刺すようだった胸の痛みが、ズキズキともっと酷いものに変わっていった。
「じゃ、僕はもう行くから」
 そんなおれのココロの内なんか知らない兄貴は、おれから手を離すと立ち上がった。
「どこに?」
「決まってるじゃない。リョーマの所だよ」
 クスリと微笑うと、兄貴はいつの間に用意したのか、ソファ横に置いてあったテニスバッグを手に取った。
「あ。そうそう」
 思い出したように言うと、兄貴はおれの前に立ち中腰になった。右手人差し指をおれの目の前にピンと立てる。
「僕がいないからって、勝手に出かけちゃ駄目だよ」
 幼稚園児なんかに言うような口調。おれはその手をウザったそうにはらった。ソファにもたれ、天井を見上げる。
「何で兄貴の言うことを、おれがきかなきゃなんねぇんだよ」
「一人で出掛けたら危ないでしょう?」
「ったく。おれを幾つだと思ってるんだよ。外くらい一人で歩けるっての。放っといてくれよ」
「んー。しょうがないなぁ」
 困ったような兄貴の声。それと同時に、おれの視界に影が映った。一瞬だけ、唇に何かが触れる。
「………あに、き?」
「じゃ。いい子でお留守番してるんだよ?」
 何が起きたのか分からず硬直しているおれに優しく微笑うと、兄貴はさっさとリビングから消えた。暫くして、玄関と鍵の閉まる音。
「なん、だったんだ?今の」
 静まり返った部屋で、おれは眼を瞑ると、さっきのシーンを思い出した。
 白い天井に黒い影。気が付くと、兄貴の顔が目の前にあって。それで、それから………。
「っ!?」
 ことの重大さに気付き、おれは慌てて体を起こした。けど、兄貴はもうとっくにいなくなってて。
「何なんだよ、一体」
 呟くと、おれは感触を確かめるように唇に触れた。でも、そんなの確かめて夢じゃないって分かっても、今更どうすることも出来なくて。
「………わけ分かんねぇよ。バカ兄貴。」
 おれは置いてあったクッションを抱えると、ソファにうずくまった。





某サイトの1周年記念に捧げたものです。閉鎖されてしまったので、アップしました。こういうのって、切ないです。
ちなみに、書いたのは2003/9/5みたいです。
まぁ、一年前なんでね。そう言う感じですよ。周裕。甘くないね。
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