おかえり


 勢いよく、部屋のドアが開けられる。階下で怒鳴り声が聞こえてたから、さほど驚きはしなかった。本を閉じ、顔を上げる。
「お帰り、裕太」
「っ」
 僕の笑顔が意外だったのか、裕太は何か言おうと口を開けたままで固まっていた。
 そのまま暫く見つめていると、裕太は勢いよく口を閉じた。乱暴にドアを閉め、僕に向かってくる。
「お帰りじゃねぇよ」
 伸びた手が、僕の胸座を掴んだ。顔が、近づいてくる。
「何をした」
「……何をって?」
「知るかっ。オレが訊いてんだよ。この間、オレに何をした!」
 真っ直ぐに、僕を見つめる。けれど、その眼は明らかに揺れていた。必死。そんな感じだ。
「さぁ?僕はただ…」
 裕太の首に腕を回し、引き寄せる。触れるだけじゃ飽き足らず、僕はもっと深く唇を重ねた。
「こういうこと、しただけだけど?」
 唇を歪め、微笑ってみせる。見上げると、裕太は真っ赤な顔で、今にも泣き出しそうなくらいに眼を潤めていた。僕の胸座を掴んでいた手が離れ、その場に崩れるようにして跪く。
「っんで、こんなことすんだよ。バカ兄貴っ」
 何かを押し殺したような声。見ると、裕太の手には光るものが合った。どうやら、泣いてしまったらしい。
 相変わらず、僕の前では泣き虫だな。
 友達に虐められても泣かなかったのに、僕と二人きりになると堰を切ったように泣き出していた昔を思い出し、僕は心の中で微笑った。あのときには既に、僕は裕太を――…まぁ、いいや。
 椅子から立ち上がり、裕太の隣にしゃがむ。その肩にそっと腕を回すと、裕太の顔を覗き込んだ。頬と伝う涙を、舌で拭ってやる。
「裕太。泣いてちゃ分からないよ。ね、僕が何をしたって言うの?その所為で裕太はどうなったの?裕太の分かるだけでいいから、僕に教えて?」
 昔に戻ったような感覚。出来るだけ優しい声で語りかける。耳を澄ますと、裕太は微かに嗚咽を漏らしていた。
「に、きが…」
 五分もそうしていただろうか。突然、裕太は言葉を漏らし始めた。ポツリと、小さな、弱々しい声で。
「兄貴が、この間、無理矢理オレにキスしてっ。そんときはすっげぇ嫌だって思ったのにっ」
 ああ、そう言えば。いい加減我慢も限界で裕太にキスをしたら、もの凄い勢いで拒絶されたっけ。唇を重ねているときは満更でもなかったのに、離した途端、真っ赤な顔で思いっきり口を拭われた。あれって結構傷つくんだよね。例えそこに、本音がなかったとしても。
「思ったのに、どうしたの?」
「あれから、どうしても忘れらんねぇんだよ」
「忘れられない?何が?」
「っ」
 問いかける僕に、裕太は顔を真っ赤にすると、そのまま顔を伏せるようにして丸くなってしまった。頭を抱えて、どうやら、また泣き出してしまったようだ。
 何が忘れられないのか、なんて。少し意地の悪い質問だったかもしれない。裕太の態度や話の流れで、何が忘れられないのかなんて、容易に想像がつくのに。
 世話が焼けるね、お互いに。
「ねぇ、裕太。もしかして…」
 裕太の体を強引に起こし、もう一度キスをした。さっきよりもずっともっと深く、長く。
「これが、忘れられないの?」
 唇を離し顔を覗き込むと、裕太はただこくりと頷いた。その仕草が可愛くて、思わず、微笑う。
「そう。それは良かった」
「なっ…」
 僕の言葉に顔を上げ何かを言おうとしたけど。僕はそれを許さなかった。裕太が口を開けたのをいいことに、唇を重ねる。
「てっきり、嫌われちゃったのかと思ったよ。あの後ずっと連絡がなかったからさ」
 まだ微かに震えているその体を抱き締めると、僕は耳元に唇を寄せた。
「ごめんね、無理矢理にキスなんかしちゃって。でも、仕方がなかったんだ。ずっと裕太が好きだったんだもん。今までよく我慢してきたと思うよ、我ながら」
 裕太も、よく我慢してきたと思う。言いそうになったけど、その言葉は強引に飲み込んだ。まさか僕が裕太の気持ちに気づいてたとは思ってないだろうし。
 そうか。もっと早くにこうしておけばよかった。僕の背に回された体温を感じながら、思う。もっと早くにこうしていたら、初めから、離れ離れになることなんてなかったかもしれないのに。今ごろは、キスだけじゃなく色んなことをしてたかもしれないのに。まぁ、それについては、これからゆっくりとしていけばいい。裕太はもう、僕の手の中にあるんだし。
「ねぇ、裕太。好きだよ」
「……ぇも、好き」
「うん」
 頷く僕にまた泣き出した裕太を優しく抱き締めながら、これからはもっと頻繁にお帰りを言えるようになるんだろうな、と。僕はひとり、微笑っていた。





365題のコメントから。
これ書いてたら『くちびるから魔法』っていう言葉が浮かんだよ。魔法と書いてマジックと読む。
なんかの漫画のタイトルであったよね、確か。……少女漫画?
不二の魔法にまんまとかかった裕太。そんな感じ。
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