放課後。おれはいつものようにロードワークをする。メニューをこなし、橋の下で僅かな休憩。この後は、素振りが待っている。いつもと変わらない日常。今日は晴天だったこともあり、夕暮れ時だけど、川の水は大して冷たくない。
「………やるか」
汗を拭き、手拭を取る。乾先輩から教えてもらった練習法。最初は気に食わなかったけど、やってみるとこれが意外に効果的で。今ではおれの練習には欠かせない。
川へと入り、手拭をよく湿らす。いつもと変わらない日常。
……になる筈だったのに。
「やあ、海堂」
遥か後方から声がして、おれは振り返った。土手
で片手を上げているのはまぎれもなくこの練習法を教えてくれた人間。おれの好きな人。
「乾先輩。どうしたんすか?」
「どうしたって?ロードワークの途中だよ」
軽く息を切らした声。
「どうやら、本当らしいっすね」
「?」
「あんたはよく嘘を吐くから」
「そうかな?」
「そうっすよ」
それにしても。珍しいな。
「乾先輩のロードワークのコースにここ、入ってましたっけ?」
「いいや」
訝しげに訊くおれに、先輩はあっさりと答えた。そのままおれの方へと近づいて来る。って、そのままだと…
「あ。」
「何?」
「水。」
先輩はおれが言うのも構わずに、川の中へと足を入れた。靴くらい、脱げばいいのに。
「別に、構わないよ」
「……風邪引きますよ」
「何?心配してくれるの?」
どこかしら愉しそうな声にちょっとだけムっとする。
「別に。そんなんじゃないっす」
「あはははは。拗ねるなよ」
「拗ねてないっすよ」
ぶっきらぼうに答えると、横に立っている先輩をそのままにして、おれは練習を続けた。
先輩が好きだって自分で気がついたのはいつだったのかもう、思い出せない。気がついたときには、眼が先輩を追ってた。まさか自分から好きだなんて言える筈は無い。が、気付いて欲しとは思う。つっても、おれはこんなだから。それが叶わないことだってのくらいは分かる。自分の無愛想さが、こういうとき、酷く嫌になる。もう少し、笑えればいいんだけど。
「なあ、海堂」
いつになく真剣な声におれの腕が止まる。
「……なんすか?」
先輩はおれの正面に立つと、腕を取った。自然と、視線がぶつかる。
そのまま、暫く沈黙が続いた。
こんな近くに先輩がいることなんて滅多にない。ましてや触れられることなんて…。
一体、どうしたんだ、おれは。心臓が、鼓動が速い。掴まれている箇所が熱い。顔、赤くなってないだろうか。何で先輩は何も言わないんだ?
「乾、先輩?」
恐る恐る口を開くおれを見て、先輩は口元に笑みを浮かべた。
「海堂。お前、俺のこと好きだろう」
「なっ!?」
バレてた?どうして?データ?違う。この人はハッタリを言ってるだけだ。おれの反応を見て愉しんでるだけだ。
「そ、んなわけないじゃないっすか。何言ってんすか、あんたは」
慌てて否定する。でも、多分、この人には嘘だってバレてる。自分でも、顔が赤くなっていくのが分かるし、目だって合わせられない。
「違うの?じゃあ、何で目を合わせられないのかな?」
悔しいけど、おれは何も答えられなかった。どうにかここの場から逃げ出したくて、腕を振り解こうとするけど。
「駄目だよ。今の君の筋力じゃ、俺には勝てない」
「…データっすか」
「そうだよ」
あっさりと答える先輩に、おれはそれが無駄だと分かり、抵抗を止めた。愉しげに先輩が微笑う。
「じゃあ、その…さっきのも、データからなんすか?」
「さっきのって?ああ。海堂が俺のことを好きだってやつ?」
「………。」
「ううん。あれは違うよ。データじゃない。データによると、君の好みは俺とはだいぶ違うタイプみたいだからね」
「じゃあ、なんでっ…」
しまった、と思った。でも、もうそれは遅くて。先輩は満足そうに微笑った。また、顔が赤くなる。
「それは、肯定と見ていいのかな?」
先輩の言葉に、おれはただ顔を伏せってることしか出来ない。逃げ出したい。逃げ出したい…。
「分かるよ、海堂のことなら全部ね。どうしてだか、知りたい?」
先輩の言葉に、おれは小さく頷く。
「俺、君のこと好きだから」
「え?」
先輩、今、何て言った?
目を丸くしたままおれは顔を上げた。そこには優しく微笑んでいる先輩。
「だから、俺、海堂のこと、好きだよ」
「それって…」
「そう。友達とか、そういうんじゃなくて。本当の意味」
「あ…」
どうしよう。凄く嬉しい。
「だからさ、海堂も本当のこと言って」
両腕でおれの肩を掴むと、先輩は真剣な眼差しでおれを見つめた。なんかそれが凄く恥ずかしくって、おれは目を逸らしたい気持ちで一杯だった。けど、先輩の眼が、それをさせてくれない。
「ねえ、海堂。俺のこと、好き?」
「………。」
「嫌い?」
「……嫌いじゃ、ないっす。」
それだけ。頑張って答えてみるけど、先輩はまだ許してくれない。
「『嫌いじゃない』ってことは、『好き』ってことでいいのかな?」
……それは、データ?
「そう。データ」
じゃあ、おれのことだってわかってるはずじゃないか。
「でもね、本心まで言い当てる自信はないんだ」
まるで、普通に会話をしてるみたいに感じた。でも、おれはさっきからずっと喋ってない。やっぱり、先輩はデータでおれの考えてること凡て分かってるんじゃないか。だったら、おれが直接言わなくても。
「聞きたいんだよ。海堂の口から。俺のこと、どう思ってるか。言ってくれるまで…こうだ」
「なっ…ちょっ、乾先輩!?」
突然、おれは先輩に抱きしめたられた。
「先輩、放してください。人、見てますって」
「駄目。ちゃんと海堂の口から答えを聞くまでは放さない」
言うと、先輩はその腕に少し、力をこめた。
……この人、本気だ。
どうしよう。抱きしめられるのは凄く嬉しいけど。こんなとこ、誰かに見られたら…。
「俺は構わないよ、誰に見られても」
「おれは構うんですよ」
薄い布越しに、先輩の体温が直接伝わってくる。
「海堂、心臓、速いよ?」
分かってるって。だから、恥ずかしいんだって。
「ねぇ、一回だけでいいんだ。そしたら、もうそれ以上は強要しないから」
「本当に、一回だけでいいんすね?」
「ホント。俺、嘘吐かないよ」
「嘘吐き」
「さて、どうする?」
クスクスと、先輩の笑いが耳元で聞こえてくる。このままこうしていたい気もするけど、こんなところ、誰かに見られたら。それこそ、たまったもんじゃねぇ。
しょうがねぇ、か。
「分かりました。一回しか言いませんからね。」
「うん。」
おれは深呼吸をすると、そのまま先輩の耳元で…。