「ただいま帰りました」
玄関を開けたおれを待ち受けていたのは。
「か・お・る・ちゃ〜ん、お帰り!」
無駄にデカイ男の熱い抱擁だった。
いつものように早朝のロードワークをこなす。いつもと違うのは隣にいるはずのヒトがいないこと。
寝坊だろうか?
データなんかにはきっちりとしてる割に、意外とルーズだったりするからな。いや、データにきっちりとしているからなのかも。前に時間に遅れたとき、データ整理をしていたらそのまま寝てしまったんだと言っていた記憶がある。
ということは、おれはデータ以下?
「って。なに考えてんだ、おれ」
こんな風に考えてるから、いつもあのヒトに遊ばれるんじゃねぇか。
ま、朝くらい会えなくても、死にゃしねぇって。おれはそこまであのヒトの餓えてないしな。…おれにとってあのヒトの存在は、もしかしたらテニス以下なのかもしれない。
…………猫以下ではあるかな。ゴメン、先輩。
なんてことを考えたのがいけなかったのか、その後も先輩を見ることはなかった。訊いた話、どうやら風邪を引いて学校を休んだらしい。今日はおれの誕生日だって言うのに。お見舞いに行こうかとも思ったけど。おれが行ったら無理にでも起き上がってきそうな気がして、やめた。あのヒトはおれが絡むと結構無茶をする。これ、最近学んだこと。決して自惚れではなく…。
「で。なんでアンタがここにいるんすか?」
抱きついてきた先輩を急いで引っぺがすと、おれは手を引いて自分の部屋に押し込んだ。突き飛ばすようにしてソファに座らせ、おれもその隣に、だいぶ距離を置いて座った。
「何でってなぁ…。今日、海堂の誕生日だろう?」
言いながら、さり気なく先輩が近づいて来る。
「だーっ、もう、くっつくな!風邪はどーした、風邪はっ!」
抱きつこうとしてくるのを何とか阻止しながら、おれは叫んだ。先輩が無気味に微笑った。
「ああ。あれは嘘だよ」
その言葉とともに、先輩の身体から力が抜ける。そのせいでおれは先輩のほうに倒れてしまった。
「はーい、薫ちゃん、いらっしゃーい」
隙をつかれて、抱きしめられる。
「放せよっ、バカ!」
力では先輩に勝てない。でもこのまま丸め込まれるのもイヤだから。おれは無駄な抵抗だと知りながらも、その腕から逃れようともがいてみせた。
「だーめだよ。今日一日会えなかったんだから、その分取り戻さなくっちゃ」
おれの抵抗が楽しいのか、先輩はムカつくほど不気味な笑みを見せるとおれに頬擦りをしてきた。ったく、猫じゃあるまいし。気持ち悪ぃっつーんだよ。
「何が取り戻すだ!自分で勝手に休んだくせに。どれだけおれが心配したと思って…」
あ。
「……何だ、海堂。心配してくれたのか?」
おれの失言に、先輩は意外そうな顔をした。
「…………っるせー。いいから放せよ、このド変態っ!」
今度はおれが隙をついて先輩を突き飛ばした。赤くなった顔を隠すようにして、背を向ける。
「ゴメン、海堂」
「っ!?」
不意に背後から抱きしめられた。抵抗する暇なんてなかったから。おれは、やすやすと先輩の腕に包まれてしまった。
「海堂がそんなに心配してくれるなんて思わなかったよ。俺のデータもまだ甘いな」
自嘲するように先輩が笑う。おれは溜息をつくと、回された先輩の手に自分の手を重ねた。
「だったら、もっとちゃんと観察してくださいよ」
「………ああ。そうだな」
見上げて言うおれに、先輩は微笑うと、唇を重ねた。
「……で。何なんすか?これ」
テーブルの上に用意されているモノを見て、おれは唖然とした。
「それはね。今日一日かけて、母さんと乾さんで作ったのよ」
キッチンから運んできた料理を置くと、母が言った。
そう。おれの目の前にあるのは、一体何人で食うんだ?と思うくらいの特大のバースデーケーキ。しかも真中に置いてあるチョコにはご丁寧にも『かおるちゃん、おたんじょうびおめでとう』というメッセージが書かれている。
「本当は午後から学校に行くはずだったんだけどな。意外に手間取ってしまって」
「そうそう。このデコレーションは乾さんがひとりでやったのよ。凄いわよねぇ」
感心したように言うと、母はまたキッチンへと消えた。
残されたのは、おれと、先輩。
「………あんた、もしかして。これつくるために学校休んだんすか?」
「ああ。まあな」
あっさりと認められ、おれはただただ呆れるしかなかった。
「あんた、バカだろ」
「それだけ愛が深いって言って欲しいな」
余りにも自然に言うから。
「バっ…。」
おれの顔は、一瞬にして真っ赤になってしまった。そんなおれをみて、先輩が楽しそうに微笑う。
「なに微笑ってんすか。気持ち悪ぃっすよ」
「いや、可愛いなって思ってな」
「………あんたなぁ」
「海堂。」
おれの反論を遮ると、先輩はおれの肩を掴み、自分のほうへと向けさせた。一度だけ咳払いをする。
「ハッピーバースデイ、海堂」
その改まった言い方に、どう答えていいのか解からなかったおれは、近くに誰もいないのを確認すると、先輩の胸座を掴み触れるだけのキスをした。