「へへっ」
何度この部室に響いたかわからない、気味の悪い笑い声と視線が気になって、おれはなかなか日誌を書き終えることが出来ないでいた。これを書き終えないと、いつまで経っても帰れないのに。
「なんなんだよ、英二。さっきから…」
溜息を吐くと、おれは日誌から英二へと視線を移した。机を挟んで目の前にある英二の顔は、ファンが見たら引いてしまのではないか、と思うくらいに、緩んでいる。
「べっつにぃ〜」
おれと眼が合うと、緩んだ顔をよりいっそう緩めた。
「大石、可愛いなって思ってさ」
……これだから。おれは再び溜息を吐いた。
「あのなぁ。おれは男だぞ?可愛いなんて言われて嬉しいわけ無いだろ?それに、そんなに見つめられたら、気が散って日誌書けないって。これ書かないと帰れないってこと、ちゃんと解かってるのか?」
咎めるようにして言う。けれど、英二にはそれが通じていないらしい。依然として顔をにやつかせたままだ。
「解かってるよ。だから、こうして大石が日誌を書くのを邪魔してあげてるんじゃないか」
「………?」
「だから、さ。日誌を書き終えるって事は、帰んなきゃいけないってことっしょ?ってことは、俺と大石は嫌でも別れなきゃいけなくなっちゃうじゃん」
少し頬を膨らせて言う英二に、おれは笑った。
「なんだよ、それ」
実に、英二らしい理屈。
「笑いごとじゃないよっ。オレにとっては大事なことなんだから。オレ、ヤダかんね。大石と別れんの」
急に真剣な顔つきになって言う英二に、おれはたじろいだ。
「な、なんだよ、急に。別れるったって、ほんのちょっとだろ?学校は明日もあるんだから」
「そうなんだけどさっ」
言うと、英二は机を飛び越え、おれの隣に座った。
「折角俺たち想いが通じ合ったってのに、もう別れなきゃなんないなんて。そんなの、ヤダよ」
「………。」
言われてみれば。誤解が解け、お互いの気持ちを知ることが出来たというものの、それだけだ。今日もいつもと変わらない日々を過ごした。日誌が書き終わるのを待つという英二の行為も、もう既に習慣となっているもの。
「大石は、いいの?」
「何が?」
「俺と離れ離れになっても。」
腕を取り、擦り寄ってくる英二に、おれは苦笑した。いいわけがない。おれだって、出来ることなら英二とずっとこうしてたい。
「……わかったよ。今日は、もうちょっとだけ、こうしてここにいるから」
英二の頭を撫でながら、出来るだけ優しい声で言った。そのおれの言葉に、英二の顔がまた緩みだす。おれは本日何度目かの溜息を吐いた。
「だから、頼むから、日誌だけは先に書かせてくれないかな。」
掴まれている手を解きながら言った。英二はそれに少しだけ不満そうな顔をしたが、悪いな、と顔の前で両手を合わせて見せると、渋々頷いた。
「そのかわし、さっさと書いちゃってよね」
言うと、おれに背を向けるようにして、座った。その後ろ姿に、やれやれ、と小さく呟く。
機嫌を損ねてしまったおれの王子様。もとの元気な笑顔をみるためには、とりあえず、マックをおごって、週末にでもデートの約束をするしかなさそうだな。
日誌をつけながら、おれはこの先、この我侭な王子様に振り回される生活を送るんだろうな、なんてことをぼんやりと考えていた。
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