赤い絆 3
「ただいま」
 マンションのドアを開けたみちるは、暗い部屋に呟いた。
 やっぱり、まだ帰っていないのね。
 変身を解けば大抵の傷は癒えてしまうのだが、今回のように酷く体力を消耗した場合は完全に回復することはなく、みちるはいつもの倍近い時間をかけて帰宅していた。無論、時間がかかってしまった理由はそれだけではなかったが。
「はるか」
 呟いて、ソファに身を投げ出すように倒れこむ。月光に照らされた青白い天井にはるかの姿を思い出せば、否が応にも赤い影が重なった。
 私は、あの人の手を取れなかった。
 目の前に翳した自分の両手。少しの汚れも傷もない、綺麗な手。画家としての活動は続けているものの、メインはヴァイオリニストであるため、絵の具すらついていない。ただ、弦を押さえる左の指だけは、ほんの少し固くなってはいるが。
 あの時、私は一体何に躊躇ったの。
 再び天井に視線を戻すと、そこにいたはるかはウラヌスへと変わっていた。それでも赤い色は消えることなく、寧ろその濃さを増していた。
 思わず顔をしかめるみちるに、ウラヌスが哀しく微笑う。その表情にみちるは胸を痛めたが、それは数秒ともたなかった。
 哀しげだったはずの笑みは見る間に残忍なそれへと変わり、ウラヌスをより赤く染め上げるかのように血の雨が降り始める。
「やめてっ」
 みちるはあの時口に出来なかった言葉を叫び跳ね起きると、膝を抱え、耳を塞いだ。天井を見つめていた目も、膝の間で強く閉じる。
 しかしそれでもウラヌスの幻影は消えてはくれなかった。優しいはるかの姿を思い出そうとみちるが必死になればなるほど、脳裏のウラヌスは狂気を増していく。
 肉塊と化した敵を踏みしめ、両手を広げてはその血肉を全身に浴びる。無音の映像ではあったものの、その愉しげなウラヌスの表情からは、今にも高らかな笑い声が聞こえてきそうだった。
 お願い、もうやめてっ。
 あなたは誰なの。私は知らない。こんなウラヌス、私、知らないっ。
 耳を塞ぐ手に力が入り、指先が後頭部へと食い込んでいく。目をきつく閉じているせいで、眼球が痛みを訴え始める。しかしそれでもまだ、ウラヌスは血の雨の中笑い続けていた。
 が。
 突然、ウラヌスは両手を下ろした。それを合図にしたように、血の雨も止む。そうしてゆっくりとみちるを振り向いたが、そこには変わらず愉しげな笑みが浮かんでいた。
 嫌っ。
 何を、そんなに怯えているんだ。
 内心で叫んだみちるに、ウラヌスが語りかける。
 これは君が望んだことだろ。
 そんなっ。私。私は、こんなこと望んではいないわ。
 君が僕を戦士にしたんだ。
「だからって、貴女が汚れることなんて望んでっ」
 思わず声になってしまった叫び。それが失言であることに気付いたみちるは、総てを吐き出す前に口を噤んだ。しかしそれは既に遅く。みちるの言葉に一転して無表情になったウラヌスは、赤く染まった手を伸ばしみちるの両肩に触れた。
 そう。僕は汚れた。
 そののまま、痛みが走るほどに強く、みちるの肩を掴む。
 汚れてしまったんだよ、みちる。
 触れているウラヌスの手を伝って、醜い色がゆっくりとみちるを侵食していく。その恐怖に、みちるは体をよじり逃れようとしたが、金縛りにあったかのように動くことが出来ないでいた。拒絶の言葉すら口に出来ず、自分が汚れていくのをただただ、見つめるだけ。
 そして。
 どうして、こうなったんだろうな。
 みちるの全身が赤く染まりあがる頃、ウラヌスは哀しげな笑みを浮かべると、そう呟いた。


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